「わたしが、どうするか。」
『今、この瞬間』、いつもそう問われていると感じます。
毎日、変わらない日常を送っているようにみえますが、同じ日などありません。
そう思うようになったのは、
わたしが、わたしを意識するようになってからです。
朝、起きた瞬間から、わたしの思考は、喋り出します。
トイレに座っている時、
顔を洗っている時、
廊下を歩いている時、
朝ごはんを用意している時等々・・・
そして、喋っているのは、わたしだと思っていました。
だから、願いを叶える時も、わたしが、そう思えばいいのだと思っていました。
自我を、手放していったことで、頭の中は、とても静かになりました。
頭の中で、ひたすら喋っていたのは、わたしの思考でした。
わたしが知ってること、わたしが覚えていることしか喋っていない事に気づきました。
「まだ観ていない未来のことを思っているのだから、それは、わたしの知らないことなんじゃないの?」
そう思うかもしれませんが、想像できるのは、何処かで見たか、聞いたか、読んだかしたからで、
全く知らなかったことを閃いたとしたら、それは、宇宙の叡智だと思っています。
全く知らなかったこととは、難しいことではなく、
知っていたけれど、
「そんなふうに思ったことがなかった」
というような、捉え方が変わった時です。
一言で言えば、『気づき』です。
例えば、
わたしは、スピリチュアルの本を、たくさん読みました。
そこには、ワクワクする方向へ向かう。と書かれていました。
だから、ワクワクしない方は、選択しないようにしていました。
結局、
「やりたいな」と思うことは、やるけれど、「やりたくない」と思ったことは、やらなかったのです。
確かに、やりたいことをやるのですから、その時は楽しいですが、それで終わりでした。
試行錯誤しながら、自我の存在に気づいた時、
「やりたい」と思っているのは、自我の都合の良いことだけだと気づきました。
めんどくさいことや、
自分のプライドが傷つくことや、
自分が嫌われることに関しては、ワクワクなど一切しません。
だから、そこからは逃げていました。
でも、本当の幸せは、その自我の嫌がる向こう側にありました。
“わたしだって仕事をしてきて疲れてるのよ。だのにいつも家事は、わたしばかり。どうせ、何を作ったって、美味しいって言ってくれるわけでもなく、1時間かけて作っても、10分で食べ終わってしまう。それなら、総菜を買ってきて、簡単に作れるもんでいいでしょ”
そう思ったわたしの意識は、必ずこの方向へ動きます。
総菜を買ってきて、簡単なモノを作ります。
この時に放ったエネルギーは、
「めんどくさい。わたしばっかり。どうでもいい。早く済ませたい。」 と同じエネルギーです。
「わたしが、どう在るのが最善か」
そう、自分に問うた時、
“今日は、寒いから、体が温まる献立がいいかな。家族みんなが好きなのは、◯◯だから、仕事帰りにスーパーに寄って、食材を買っていこう。”
この時に放ったエネルギーは、ワクワクです。
きっと、美味しいと喜んでくれる。
きっと笑顔になってくれる。
お腹いっぱい食べてくれる。
この世界には、『鏡の法則』があります。
わたしの意識を、映し出します。
やっているふりは、通用しません。
「本当は、やりたくないけど・・・」
その世界が、鏡に映し出されます。
この世界は、わたしが体験している世界です。
思考で、
「美味しい料理が目の前に在る」
と、どんなに願っても、料理は目の前に現れません。
「簡単なモノでいいや。」
と思っている方向へ動いているのに、満足する世界はありません。
でも、この世界は、とても面白くて、
“今日は、寒いから、体が温まる献立がいいかな。家族みんなが好きなのは、◯◯だから、仕事帰りにスーパーに寄って、食材を買っていこう。”
と、実際に行動に移していくと、簡単に作れたのに、みんなが喜んでくれる世界が観えてきます。