あと数時間で、2023年も終わりますね。
後悔のない、充実した2023年でした。
毎瞬毎瞬を、意識して選択できたことで、後悔のない日々を送ることができました。
10月に本を出版しましたが、原稿は3月に提出したものでした。
3月の時点では、
ピースが集まって、1枚の絵になろうとしているのですが、まだ全体像が観えていない状態でした。
原稿を提出してからでした。
この絵が、自我の世界だったことがわかったのは。
自分が、自我の世界の中にいることがわかって、何とか抜け出したいともがきました。
どうやったら抜け出ることができるんだろう。
この世界にいながら、自我の世界を脱出する方法なんてあるんだろうか。
そう思いました。
そして、やっと答えがでました。
自我の構造を遣わなければいいんだと。
これが正解なのか、不正解なのか、やってみなければわかりません。
これは、現在進行形です。
そうやすやすと自我の世界は、脱出できない。
めちゃくちゃ自分に意識を向けていないと、直ぐに自我の世界に入り込んでいきます。
ですから、まだ現在進行形です。
そして、もう一つ学んだことがあります。
それは、わたしの学びは、今世で終わらないということ。
人間のわたしにしてみれば、この人生を悔いなく生きようと思うわけですが、
この人生は、これで完結するわけではなく、来世に続いていくのだろうと、そう思うに至りました。
今世、どこまで学べたかが、来世に関わってくるように思います。
長いスパンで、過去世、輪廻転生を繰り返し、その都度学んできたことがあり、
いつか、この世界の構造を知る人生を歩み、
その次の世では、その構造を知った上での人生を歩む。それが、覚醒ではないのかと。
生まれる前に設定してきた人生。
小さい頃に、自分のやりたいことをみつけた人というのは、その環境が必ず設定されているように思います。
例えば、
やりたいことが、スポーツであれば、そのスポーツに合った容姿があり、家族の環境があり、出会いがあり・・・
まるで、小中高大学、社会人になるまで、一貫校のように進んでいく。
この世界の法則を知るとか、スピリチュアルの世界を知るとか、そういうことではなく、
自分自身の体験の中で、法則を見抜いていくようなイメージです。
我欲がそもそもなく、やりたいことを追求していく人生。
随分前にテレビで観たのですが、お味噌が大好きな、多分小学生だったと思いますが、その子のことが紹介されていました。
お味噌が好きで好きで、自分で作ってるんです。
大きな味噌の樽が、いくつも置ける場所がその家にはありました。
有名な日本料理人の方も、驚くほどのお味噌でした。
まだ小学生なのに、とても穏やかな子どもだと思いました。
自分がやりたいことをみつけることができる年齢も、人生に関係するんだろうと思います。
例えば、スポーツなどは、やはり年齢が影響します。
ですから、30歳になってから、そのスポーツに出会うのではなく、小さい頃に出会うとか。
自分が到達したいところから逆算して、やりたいことに出会える年齢を決めているみたいな・・・
わたしは、「これをやりたい!」と思うようなモノはありませんでした。
もちろん、テニスをやりたいとか、この資格を取りたいとか、そういうのはありますが、自分の人生一生をかけるようなことには、出会っていません。
だから、
「あぁ、来世があるな。」
そう思うに至りました。
わたしは、息子を亡くした体験をしていますが、その体験をした時、本当に輪廻転生があるとしても、二度とこの体験はしたくないと思いました。
それに、自我の世界で生きるって、結構しんどかったから、もう二度と生まれ変わりたくないなと思っていました。
でも、きっとスピリットに戻ると、そんなことは関係なくなってしまうんだろうなと思ってしまいます。
ちょうど、ゲームをしていて、途中で負けてしまうと、
「もう1回!」
と思ってしまうように、きっとスピリットのわたしは、
「次の人生は、ここまで到達できるようにしたいから、こんな人生にしよう。」
って、決めてしまうように思います。
わたしの今世が、あとどのくらいあるのかわかりませんが、
今世が、来世に影響するのだろうと思っているわたしは、
今世、精一杯の次元上昇をしようと思っています。
来世が、有る無しに関わらず、今の人生を、一切の誤魔化しのない人生にしていきます。
ですからわたしは、
来年を神様次第の人生ではなく、
自分で自分の人生を創造していきます。