「意見が合わない人の意見なんて、聞きたくない。」

 

「運動は、苦手だからやりたくない。」

 

「本を読むのは嫌いだから、読みたくない。」

 

「料理を作るのは苦手だから、作りたくない。」

 

「パソコンの使い方がよくわからないから、調べたくない。」

 

 

誰だって苦手なこと、やりたくないことはあります。

 

 

 

今日は、誰かに「やってください」と言われたことに対して、「やりたくない」のお話しではなく、

 

自分自身の「やりたくない」のお話し。

 

 

 

 

やった方がいいと思っていても、

 

やればいいだけだと思っていても、

 

やりたくないことがあります。

 

 

 

 

悩んでいることのほとんどは、

 

自分が、言いたいのに、言えないことや、

 

自分が、やりたいのに、やれないでいることが、ほとんどのように思います。

 

 

 

 

「言いたい。」というと、

 

普段、怒りたいのに怒るのを我慢していること。

 

 

「やりたい。」というと、

 

普段、高級なバックを買いたいと思っているのに我慢していること。

 

のように、思ってしまうかもしれませんが、そうではありません。

 

 

 

 

例えば、

 

「言いたい。」とは、

 

“やってみたらどう?”と、一言、言ってあげればいいだけなのに、

 

わたしが心配してしまうことや、

 

わたしが不安に思っていることや、

 

わたしが執着していることで、

 

その一言が言えない。

 

 

 

「やりたい。」とは、

 

仕事で遅く帰ってきた主人に対して、

 

“お疲れ様。お風呂に先に入るなら、ビールのつまみを用意しておくけど、どうする?”

 

と、夫が喜ぶことをしてあげたいと思いながら、

 

わたしも疲れてると思ってるし、

 

家事や子どものことは、全部わたしがやってて、あなたは仕事だけでいいわよね。と思ってるし、

 

わたしは、さっさと寝たいと思ってるから、

 

やれない。

 

 

 

 

 

この世界は、鏡の世界です。

 

見事に、わたしが映し出されています。

 

 

 

「やってみたらどう?」 は、

 

わたしが、わたし自身に言っています。

 

いつも心配や不安が先にたってしまって、やりたいことをやれていないわたしに向かって言っています。

 

鏡の向こうにいる人は、裏側のわたしです。

 

言いたいけど、言えないことを言ってみる。

 

 

 

 

いつもわたしばっかり・・・

 

そう思っているわたしが、鏡に映っています。

 

そんな疲れたわたしに、

 

「ビールでも飲む?」

 

そんな優しい言葉をかけられたら、一日の疲れがふっとんでしまう。

 

鏡に映ったわたしが、喜びます。

 

 

 

 

 

「わたしが大変だってわかってよ。」

 

と、どんなにアピールしたところで、現実に観える世界は、何も変わりません。

 

それより、最悪の方向へとタイムラインは進んでいきます。

 

 

 

 

やってみたことがない方は、やってみてください。

 

自分が、して欲しいと思っていることを、相手にしてみる。

 

自分が、言って欲しいと思っていることを、相手に言ってみる。

 

 

 

見事に、現実世界が変わってしまいます。

 

 

 

 

よく、

 

「何回言っても、止めてくれない。」

 

と、相談を受けることがありますが、

 

ずっと言い続けているのに、止めてくれないということは、その方法は、間違っている、いわゆる真逆の方向にアプローチしていることになります。

 

 

わたしの我を通そうとすると、わたしの意図とは真逆の方向へ、物事が進んでいきます。

 

「追いかければ、逃げて行く」という法則です。

 

 

わたしの我のことは、どっかに置いておいて、

 

相手が、何を望んでいるのか、何に困っているのかを知ろうとしてみてください。

 

 

きっと、ガイドが閃きというかたちで、次の行動を教えてくれます。

 

 

 

 

めちゃくちゃ楽しいですから。

 

 

 

 

上矢印

10月24日に出版された、わたしが書いた本です。

第一章は、息子の発病から亡くなるまで。

第二章は、亡くなった息子とつながった奇跡。

第三章以降は、こころのしくみを書いています。

3月に書いた原稿で、幼かったわたしがいますが、ご興味のある方は、読んで頂けたらと思います。

来年には、2冊目を出版できるよう、成長し続けたいと思っています。