数年前まで、考えていること(思考)と意識は、同じモノだと思っていました。
・・・というより、思考と意識を分ける必要もない世界で生きていた。と言った方がいいかもしれません。
思考と意識は、別物だけど、協働作業をしてくれないと、上手く活用できないモノ。と言えばいいのかなぁ。
思考は、言葉 + 計算 + 記憶 だと言えますかね?
意識は、わたしを動かしているモノ
例えば・・・
朝、寒かったり、寝るのが遅くて、まだ寝ていたい。
「あと、5分、あと3分・・・」 と、なかなか起きれない。
本当は、起きなきゃいけないとわかっているけど、起きられない。
「起きる」 より、「寝る」 が勝っている状態です。
いわゆる、自分と闘っているような状態です。
「起きる」と決めた時、「寝る」方を選択するのも、「起きる」方を選択するのも、わたしです。
この時、「絶対に起きる」方を選択するには、理由があります。
試験の日だとか、デートの日だとか、何かのチケットをとってある日だとか、絶対にその電車に乗らなければいけないとか・・・
特に、自分にとって楽しいことが待っている場合は、直ぐに起きてしまいます。
この時、思考だけで、
「はい、起きなさいよ。」と、何度も言い続けても起きません。
「起きよう!」と、思考と意識が一致しなければ、この体を動かすことはできないようになっています。
思考と意識が一致しれいれば、自分の中で闘う必要はなくなってしまいます。
朝、予定通りに起きるかどうかは、その先にある出来事によって変わることはあるかもしれません。
明日は、仕事が休みだから、ゆっくり体を休めたいと思うことだってあります。
わたし自身、この先にある出来事に応じて、行動を決めていましたから、何もすることが特にない日などは、何をしようかと考えているうちに、1日が終わってしまったということだってありました。
ところが、この行き当たりばったりの生き方では、ただ生きて生活しているだけで、人生の醍醐味を味わうことなく、時間だけが経過してしまいます。
わたし達は、毎瞬毎瞬、選択しています。ほとんど意識していないかもしれませんが。
朝、自分が決めた時間に起きる。
何でもないことのように思いますが、わたし達は、この瞬間の連続を生きています。
朝、自分が決めた時間に起きる。という意識の遣い方は、わたし(思考)と意識と行動を一致させた方向へ、エネルギーを向けています。
『肯定』のエネルギーです。
朝、自分が決めた時間なのに、起きようとしないのは、わたし(思考)と意識と行動が不一致な状態で、流れのない停止した状態になります。
現実は、何も変わらない。
「そんな些細なこと。」
以前のわたしならきっと、そう言っていました。
「それが何になるの。」と。
1が、100集まって100になるように、この1が、100を創っていきます。
秒単位で、自分の思考と意識と行動をチェックしていくとわかります。
この3つが一致している方が少ないことに気づきます。
やりたくないと思っているのに、仕方なくやっている。
本当は、こうした方がいいと思っているのに、周りの人と同じようにやっている。
そう言われたから、みんながそうしているから、自分だけ違うことをすると仲間外れにされてしまうからと、狭い世界を何十年も続けてきた結果を観せてくれている方たちと、
勝ちたいという方向へ意識を向け、そのためには何をすればいいかと、我欲と真逆の方向へと広い視野をもって、何十年も続けてきた結果を観せてくれる方がいる。
どの世界で生きたいかを選択できる、究極の自由が、この世界にはあります。
10月24日に出版された、わたしが書いた本です。
第一章は、息子の発病から亡くなるまで。
第二章は、亡くなった息子とつながった奇跡。
第三章以降は、こころのしくみを書いています。
3月に書いた原稿で、幼かったわたしがいますが、ご興味のある方は、読んで頂けたらと思います。
来年には、2冊目を出版できるよう、成長し続けたいと思っています。