この世界には、『鏡の法則』が存在しています。

 

わたしは、この『鏡の法則』が、本当にすごい!と思った体験があります。

 

 

 

 

『鏡の法則』は、引力の法則と同じように存在しています。

 

見えないけれど、誰もが遣っています。

 

 

 

引力の法則の場合は、

 

 

 

ニュートンのように証明しなくても、物が地面に落下することを「引力があるからだよ。」と、見せることができます。

 

ところが、『鏡の法則』というのは、意図的に遣って検証してみて、自分が体験しない限り、法則の存在を信じることはできません。

 

 

 

 

『鏡の法則』は、表側のわたしには観えない、裏側のわたしを観せてくれます。

 

よく、「あの人は、表裏のある人だ。」と言うことがありますが、このことではありません。

 

 

 

また、表が良いわたしで、裏が悪いわたしでもありません。

 

表が、本当のわたしで、裏が、ウソのわたしでもありません。また、その逆でもありません。

 

 

 

 

表側のわたしとは、

 

認識できているわたしで、

 

裏側のわたしとは、

 

認識できていないわたしです。

 

 

 

 

表側のわたしが、「優しくしなければならない。」と思うようになってしまったのは、

 

優しくしなければ、愛されないという保身があったり、

 

優しくされなかったことで、優しくして欲しいと、執着してしまったりと、

 

何かしら、そう思うようになった体験があったはずです。

 

 

 

「優しくして、何か悪いの?」

 

いえいえ、良い悪いのお話しではなく、偏りのお話しです。

 

 

 

 

「優しい」というのは、優しくしてあげることではなく、された側が、痒いところに手が届いたようにされた時に思う感覚です。

 

決して、わたしが、「優しくしてあげたのに。」という、自己満足のことではありません。

 

 

裏側のわたしとは、こういった自己満足、自己中心のわたしの存在 = 自我 です。

 

 

 

決して、悪いわたしとかではなく、

 

「その体験をしてきたら、そう思って当然だよね。」

 

と思うような思い込みです。

 

 

 

 

熱いやかんに触って火傷をしたという体験があれば、火傷をしないようにするにはどうすればいいかと考えて、電気ケトルに変えたり、用心しながら触ったりして、痛いことから体を守ろうとするのと同じです。

 

 

 

自分が、イヤな体験をすれば、次はその体験をしたくないと思うのは当然です。

 

 

この当然のしくみが、自我の世界で、この自我の世界を、

 

「あなたはどうやって脱出しますか?」

 

と、霊性進化プロセスを辿っていく中で、自分で脱出方法をみつけていくというシステムがあり、『鏡の法則』の存在をみつけ、その法則を遣っていくというプログラムになっているという世界が、自我の世界です。

 

 

 

そんな『鏡の法則』を、知ってはいても、100%遣いこなせるかというと、これが何とも難しい。

 

難しいというより、自我の世界のシステムを、当たり前のように遣ってきていますから、それが慣れ親しんだ世界になっているので、遣っていることさえ気づかないことなんて、日常茶飯事です。

 

 

自我の世界では、

 

わたし = 正しい = 肯定

 

あなた = 間違っている = 否定

 

という公式が成り立っています。

 

 

この自我の世界を脱出するには、この公式を、

 

わたし = あなた = 肯定

 

に、調えていく必要があります。

 

 

 

要は、この公式に当てはまるように、試行錯誤していくわけです。

 

 

 

こういうしくみがわかりだしてきて、検証を繰り返して、「本当にそうなる。」と実体験をしていくと、当然わたしは、わたしが正しいと思いだします。

 

そうすると、自我バリバリの人が目の前に現れると、説得しようとするわけです。

 

この説得しようとしているわたしそのものが、自我を発動していることに気づかないわけです。

 

 

 

「わたしの言う通りにすれば、感情に振り回されないようになるのに。」とね。

 

だから、今度その人と会ったら、どうやって説得しようかと、一生懸命に頭の中で考え始めます。

 

実際に会ったので、わたしは、その人を説得しようとします。

 

でも、その人は、「でも、こうなる。」「でも、そうなる。」と、全くこちらの話など聞かず、自分の思っていることを、言いたいだけ言って終わってしまいました。

 

 

 

ここでやっとわたしは、『鏡の法則』に気づきます。

 

「あぁそうか。わたしが説得しようとすれば、相手もわたしを説得しようとするんだ。」

 

 

 

3回目、会う機会がありました。

 

会う前にわたしは、

 

「絶対にあの人の話しを聞こう。どんな想いがあって、どんな世界を観ているのか。わたしがわたしの世界を観ているように、あの人は、あの人の世界を観てるんだから。」

 

そう決意(ゼロに戻す)して、会いました。

 

その結果、その人は、わたしに質問をしてくるようになり、そうなっているしくみを話すと、その話しをノートに書くようになったのです。

 

 

 

 

『鏡の法則』は、頭でわかっていても、なかなか遣えるようにはなりません。

 

自我は、とても強烈ですし、自我優位だと素直になれなかったり、正直になれなかったりします。

 

いわゆる、自分自身を誤魔化すことが得意です。

 

 

 

10の自我が発動しているのに、1しか気づかなかったり、

 

『鏡の法則』を遣うチャンスが10あるのに、2回しか遣えなかったりしますが、

 

でも、繰り返していくうちに、我を張らなくなり、わたし = あなた になり、

 

「そういうことか」と、課題投下の答えをみつけていくようになります。

 

 

 

 

 

相手を説得しようとするときは、自我発動のサインです。

 

そのまま説得を続けても、上手くいきません。

 

一旦トイレにでも行って、深呼吸をして、自我発動している自分を停止させます。

 

わたしの欲することではなく、相手の望むことは何なのかへと、意識を反転していきます。

 

ぶ厚かった壁は、途端に、

 

のれんに変わってしまいます。

 

 

 

上矢印

10月24日に出版された、わたしが書いた本です。

第一章は、息子の発病から亡くなるまで。

第二章は、亡くなった息子とつながった奇跡。

第三章以降は、こころのしくみを書いています。

3月に書いた原稿で、幼かったわたしがいますが、ご興味のある方は、読んで頂けたらと思います。

来年には、2冊目を出版できるよう、成長し続けたいと思っています。