「観ているモノは、全て結果です。」

 

自我の世界に、どっぷりと浸かっていたわたしには、その意味がわかりませんでした。

 

 

 

 

 

成功する人は、成功することが目的ではなく、

 

やろうと決めたことに、手間暇を惜しまず継続した結果、周囲から観れば、成功したと観えるようになった。

 

おそらく、その人の中では、成功したとかしないとか、そんなことに意識を向けていないと思います。

 

とても丁寧に、やり続けているんだと思います。

 

 

 

自我は、結果を直ぐに求めようとする特徴があります。

 

今日始めたことが、1週間後に成功していないと、失敗したと判断してしまうことだってあります。

 

 

結果は、プロセス次第です。

 

そのプロセスを、どんな意識を遣って行動してきたかにかかってきます。

 

 

 

 

美味しい食事を作ろうと思っていれば、材料から買おうとするように、

 

美味しい食事を作ろうと思っているのに、適当に食材を買う事はないように、

 

意識と行動は、一致してしまいます。

 

その意識によって行動したことで、結果が観えてきます。

 

 

 

このしくみがわかってしまえば、結果を観ることで、どんな意識を遣って行動してきたかが、わかってしまいます。

 

 

 

失敗したという結果を観て、「これから気をつけます。」と反省したところで、同じ失敗を繰り返してしまうのは、同じ意識を遣って行動しているからです。

 

 

 

 

自我の世界にどっぷり浸かっていると、目の前の現実が、

 

 

 

新幹線が、目の前を走り抜けているように感じます。

 

時間に追われ、日々の生活に追われ、自分はいったい何の為に生きているのかわからない状態です。

 

これは、目の前に現れた現実を観て、想いや感情に振り回されている状態です。

 

この世界には、『鏡の法則』が存在していますから、自分の無意識の世界が、目の前の現実として投影されていることで、感情が反応してしまいます。

 

想いや感情が反応した時は、課題投下のサインです。

 

観えていないわたしに気づくタイミングです。

 

気づくことによって、偏りがなくなります。拘りがなくなります。

 

 

 

今だからこうやって書いていますが、最初は『鏡の法則』のことも、課題投下のことも、何も知りませんでした。

 

ただ、「気づくと、こころが軽くなっていくんだ。」という感覚を体験したことで、どうも感情がサインなんじゃないのだろうかと思ったことが、きっかけでした。

 

 

 

それまでのわたしは、感情が現れると、その感情の方向へ意識が向いていきました。

 

 

何かを言われて傷つけば、その人とは会わないようにする。

 

失敗したら、落ち込んで泣く。

 

やりたくないことをやるように言われれば、いやいや仕方なくやって終わり。

 

 

この文章だけを読めば、

 

「3才か!」

 

と言われて当然な、わたしがいました。

 

 

 

 

こころが軽くなっていく体験は、本当に、わたしの気持ちを楽にさせてくれるモノでした。

 

それでも最初は、10回感情が揺さぶられても、2回しか観ることができませんでした。

 

それでも諦めなかったのは、こころが軽くなるという体験を経験したからです。

 

これを繰り返したら、どんなに楽になるんだろうと思ったからです。

 

 

 

目の前に新幹線が走る世界から、特急が走る世界に変わっていき、それが急行になり、

 

 

 

今では、各駅電車に乗っているイメージです。

 

今、止まった駅(目の前の現実)を観て、

 

「あぁ、こんな景色があったんだ。」と、観たこともない世界を観ながら、

 

次は、どんな世界が観えるのか、到着するまでわからないけれど、

 

ここに在る全てを遣って、丁寧に学んでいこうと思っています。

 

 

 

 

 


上矢印

10月24日に出版された、わたしが書いた本です。

第一章は、息子の発病から亡くなるまで。

第二章は、亡くなった息子とつながった奇跡。

第三章以降は、こころのしくみを書いています。

3月に提出した原稿で、幼かったわたしがいますが、ご興味のある方は読んで頂けたらと思います。

2冊目が出版できるよう、成長し続けたいと思います。