霊性進化プロセスには、「絶対に」を付けることが必要なほど、必要なことがあります。
それは、
素直であること。
正直であること。
人間世界でいう、素直な人というと、
人の言う事を、文句も言わずに、「はい」と、笑顔で言える人とか・・・
人の好意を、疑うことなく、受け取れる人とか・・・
自分の気持ちを、包み隠さず話してくれる人とか・・・
でも逆に、
なんでも「はい、はい」と、人の言う通りにしているだけで、自分では責任を持たない人ともいえるかもしれない。
正直な人というと、
嘘をつかず、自分の思っていることを、はっきりと言える人とか・・・
自分の過ちを、人のせいにせず、謝ることができる人とか・・・
でも逆に、
自分が思ったことは、相手の気持ちなど考えずに、ズケズケ言う人も、正直な人と言えるかな。
自我の世界は、二元性の世界でもあります。
同じことでも、表から観れば良いことでも、裏から観れば悪いことなってしまいます。
物静かな人のことを、「いいなぁ」って思える人もいれば、
消極的で、ウジウジしていて大っ嫌い。
って、思う人もいます。
自分が観る角度、捉える角度で、同じ人物を観ても、全く別人のように観えますし、
その人も、人ですから、笑う時もあれば、怒る時もあるし、機嫌がいい時もあるし、悪い時もあります。
24時間、365日のうちの、わずか数分、数時間、数日分しかその人のことを観ていないのに、
「あの人は、こういう人だ。」
と決めつけてしまうのは、
その人のことを、自分の鏡として観ていて、わたしの観えない裏側にいるわたしを観ているからであって、
姿、形の違う人物が目の前に現れたとしても、
わたしが、裏側にいるわたしの存在に気づくことができない限り、
いつも同じような人物が、わたしの目の前に現れるしくみになっています。
この裏側のわたしの存在に気づくことができるかどうかに、
素直さと、正直さが、とても大切になってきます。
裏側のわたしの存在に気づくことに、どんな得があるんだ?と言われたら、
「辛苦がない世界になる。」
と、答えますが、そもそも損得のお話しではなく、
霊性進化プロセスにおいて、この気づきがない限り、前に進めない、次元上昇ができない状況になります。
自我の世界にいる限り、二元性の世界で、
わたしが正しく、あなたが間違っている世界にいますから、
わたしと同じ価値観や、わたしと同じ方向を向いていない人に対して、
違和感を感じ、その人を嫌いになったり、その人に腹を立てたりしてしまうということを繰り返してしまいます。
その自我の世界で生きることは自由です。
でも、以前のわたしは、選択もできなかったわけです。
自我の世界しか知りませんでしたから、その世界から脱出できる方法があるもないも、そもそも知らなかったのですから。
悩むことが当たり前で、
生きずらいのが当たり前で、
辛いと思うことが当たり前で、
そんな気持ちを、コントロールできることが大人で、
コントロール = 我慢の世界で、
我慢 = ストレスの世界でしたから、
辛苦のない世界があるなんて、想像の「そ」の字もありませんでしたから。
辛苦が存在したのは、
わたしの嫌いなわたし、
そう成りたいのに、そう成れないわたし、
絶対に、そんな人には成りたくないのに、成っているわたしを、
目の前の世界が、鏡となって映っているからです。
この鏡を観る時に、素直さ、正直さが必要になります。
「はいはい、わたしはそうなんですね。」
と、素直になったつもりは、一切通用しないのが、意識の世界です。
「はいはい、わたしは、そんなことを思っていたんですね。」
と、正直になったつもりは、一切通用しないのが、意識の世界です。
霊性進化プロセスの中でいう、素直さや正直さというのは、
他人から見てではなく、
他人を、どう見るかではなく、
わたしだけにしかわからない、わたしの本当の想いや、わたしが考えていることに言い訳や嘘をつかないことです。
これが、意外に難しいんです。
本当の想いが、世間体や社会の常識で隠されていたり、
そんなことを思ってはいけないと思う気持ちが強すぎると、
本当のわたしを、奥の奥へ押しやってしまいます。
本当のわたしは、急には出てきません。
本当のわたしを認識できるように、24時間、365日。わたしの日常を遣って、
常にわたしと会話していきます。
それが始まりと言えるのかもしれません。
10月24日に出版された、わたしが書いた本です。
第一章は、息子の発病から亡くなるまで。
第二章は、亡くなった息子とつながった奇跡。
第三章以降は、こころのしくみを書いています。
3月に提出した原稿で、まだまだ幼かったわたしが書いた本ですが、ご興味のある方は、読んで頂けたらと思います。
来年には、2冊目を出版できるよう成長し続けたいと思っています。