『今、この瞬間の選択』が、全てを決定しています。

 

 

 

 

毎日は、同じことの繰り返しだと思っていました。

 

 

朝、いつもの時間に起きて、いつものように家事をこなして、いつもの時間に出勤する。

 

内容は違っていても、やることは同じ仕事をし、時間になったら仕事を終える。

 

同じ道を通り、だいたい同じ時間に帰る。

 

夕食を食べて、家事をして、テレビを観て、明日も仕事だからと、同じ時間くらいに床につく。

 

 

 

 

たまに、何処かに出かけることが、非日常で、

 

それは、このルーティンの毎日に変化を与えたいと、

 

「たまには息抜きしないとね」と、

 

まるで、家事をすることや仕事をすることは、わたしに悪影響を与えているモノで、

 

ストレスを解消するには、気分転換が必要なんだと、そう思っていました。

 

 

 

 

 

「そう思っていました。」と、過去形で言っているということは、今は違うということになります。

 

 

 

 

現実の世界を観て、想いや感情で、言葉を発したり、行動していたとわかるようになったのは、自我を手放し続けたからだと思います。

 

感情の発動は、自我を手放すタイミングでした。

 

『鏡の法則』を、試行錯誤しながら遣うようになって、

 

『鏡の法則』を遣わない限り、自我を手放せないことを知って、

 

想いや感情に吞み込まれないように、ひたすら課題を学びへとつなげていきました。

 

 

 

 

喋りづめの、やかましかったわたしの頭の中が、段々と静かになり始めた事で、

 

自我は、想いや感情の塊だったんだと、わかるようになりました。

 

 

 

 

頭の中が静かになると、

 

わたしの意識が、どちらの方向へ向いているのか、向こうとしているのかが、わかるようになりました。

 

そうなったことで、『今、この瞬間』が、観えるようになっていきました。

 

 

 

 

流れるように、ただ、流されているように過ごしていた毎日が、

 

こんなしくみで出来上がっていたのかと、観えるようになっていきました。

 

 

 

 

『今、この瞬間』が全てなんだ。

 

今と、5分後、

 

今と、1分後、

 

今と、1秒後は、

 

何も、つながっていない。

 

 

 

 

意識などしていなかった、毎瞬の選択。

 

その毎瞬の選択を、意識して選択していくことで、

 

現実の世界に流されていると感じていた世界が、

 

わたしが、選択決定していける世界だと、検証してわかっていきました。

 

 

 

 

自我を手放していって、明らかに変わったのは、

 

過去や未来が、わたしの世界から消えていったことです。

 

 

 

 

自我の世界に、どっぷり浸かっていた頃は、過去を後悔したり、未来に希望をもったり、不安を抱いたりと、今、この瞬間に意識を向けることはありませんでした。

 

 

 

ただ、まだ、わたしは自我の世界を脱出していません。

 

何故なら、まだ結果を求めるわたしがいるからです。

 

 

 

 

自我は、結果に意識を向けます。

 

結果に意識を向けているわたしがいる。ということは、まだ自我の世界にいるということです。

 

 

 

 

抵抗したり、意識を向け過ぎている時は、自我発動です。

 

 

 

分相応にしか次元上昇はできない世界です。

 

まだわたしが、そこに至っていないということ。

 

 

 

今、わたしができることを、継続していきます。

 

 

 

 

 

上矢印

10月24日に出版された、わたしが書いた本です。

第一章は、息子の発病から亡くなるまで。

第二章は、亡くなった息子とつながった奇跡。

第三章以降は、こころのしくみを書いています。

半年前に書いた原稿で、まだまだ幼かったわたしがいますが、ご興味がある方は、読んで頂けたらと思います。