今日は、1ヶ月に1度の母の内科受診に付き添いました。
施設まで母を迎えに行き、病院に到着して、予約時間より1時間遅れの診察を終了し、お薬が出来上がるまでの間に、昼食を食べ、薬をもらって、まずは家に帰りました。
母が、冬服や他に必要な物を、施設に持って行きたかったからです。
施設に母を送り、帰ってきたら、もう5時になっていました。
朝、家を出たのは8時30分でしたから、8時間半を要しました。
3年ほど前も、母を迎える為に実家に向かい、病院受診をし、買い物をし、家に送り、わたしが家に到着するのは、5時か6時頃でした。
この頃は、母の病院受診に付き合うのが苦痛でした。
車に乗れば、近所の人のことばかり話し、父が何も手伝ってくれないことや、自分ばかりがしんどい思いをしている等々の話しを聞かなければならなかったからです。
内科、眼科、皮膚科、神経外科、口腔外科と、1日で5つの科を受診することもありました。
わたしは仕事を休んで、受診に付き合っていました。
受診の日が来る前から、
「また、近所の人の話しを聞かなければならないのか。」
と、うんざりしていました。
あれから3年が経ちましたが、その間、わたしも変わり続けました。
『鏡の法則』を遣いながらも、
何をどうやれば、どうなるのか、どこへ向かっているのか、どんな世界を観るコトになるのか、何か変わるのか・・・
そんな試行錯誤が、今に繋がりました。
今日1日というのは、わたしの人生の短編小説のようなモノです。
今日を、どんなふうにも書き上げることもできます。
最期のページの最後の文章に、
「あぁ、今日は、とても楽しい日だった。」
と、閉め繰りたければ、
そこへ到達するための全ての出来事を、全て楽しいコトに仕上げていく必要があります。
朝、起きた瞬間から、母を迎えるまでを、第一章。
迎えて、病院へ到着するまでを、第二章。
到着してから、受診が終わるまでを、第三章。
昼食を食べて、薬をもらうまでを、第四章・・・
のように、それぞれの章が、楽しい物語でないと、トータル楽しい1日にはならない。
受動的ではなく、能動的に、意識と行動の舵をとります。
母は、昔っから、人の話しを聞くことが好きです。
今週の金曜日は、幸太郎の32歳の誕生日だから、1日中映画を観に行くことや、
(※亡くなった息子の誕生日と命日に、映画を観るのが恒例になっています。)
11月の連休には、ひろ子さんと、2泊3日で東京へ行くことなど、
そういった話しをすると、母は、自分がわたしであるかのように、
「こうちゃん(幸太郎のこと)も映画を一緒に観に行けるでええなぁ」 とか、
「旅行に行くときは、2万円あげるわ。」
そう言ってくれました。
「あぁ、今日は、とても楽しい日でした。」