現実の世界で、何かを実際に作ったり、行動に移したりしない限り、目に観えるモノにはなりません。

 

頭の中で、どんなにイメージし続けても、行動に出ない限り、何も生まれません。

 

例えば、

 

「家を建てたい。」と、頭の中でどんなにイメージしても家は建ちません。

 

ハウスメーカーに行ったり、土地を探したり、予算をたてたり、銀行とローンの相談をして、尚且つ、建てることに決定しても、内装の相談や、外壁、間取り等々、実際に行動に移して、法律で決められているような、さまざまな手続きもしていって、ようやくマイホームが建ちます。

 

 

上記のことは、誰が見てもわかるようなことですが、「家を建てたい。」と思ったことで、ハウスメーカーに行こうとするのは、肯定の行動決定をしたからです。

 

もし、「家を建てたい。」と思いながらも、何も行動に移さなかった場合は、当然のことながらマイホームが出来上がった世界を観ることはありません。否定の行動決定をしたからです。

 

 

 

わたし達は、行動に移す前に、必ず意識の中で決定をしています。

 

「ハウスメーカーに行こう。」 と決定すれば、ハウスメーカーに行くことになりますが、

 

「ハウスメーカーに行こう。」 → 「やっぱり止めよう。」 と決定すれば、ハウスメーカーに行かないことになります。

 

 

 

意識の中で、「やる」と決定すれば、行動を起こすことになり、何らかの結果を観ることになります。

 

 

 

宇宙の法則には、肯定の流れがあります。

 

ですから、否定を選択すると、途端に抵抗が起きたり、苦しさを感じたりして、停止してしまいます。

 

ただ、宇宙の法則の肯定や否定は、「やるか」「やらないか」ではありません。

 

 

『本当のわたし』と同じ方向へ意識を向け行動することが『肯定』であり、それ以外が『否定』になります。

 

 

 

 

 

目の前の出来事に対して、本当は、やった方がいいと思っているのに、「めんどくさい」や、周りの人からどう見られるかを気にすることで、やらない方向へ舵を取った場合は、『否定』になります。

 

この選択をした場合は、頭の中で、幻想物語という言い訳が始まります。

 

「あの人がきっとこういうから、わたしはやらないのよ。」とか

 

「わたしばっかり損をするのはイヤだから、断ったのよ。」等々、

 

「やらなかった」のではなく、「やれなかったんだ」と言い訳をします。

 

 

 

じゃあ、全て、「やる」ことが、肯定なのかと言われると、そうでもありません。

 

例えば、

 

「万引きを一緒にしよう。」と言われて、「やる」のは否定です。

 

現実世界で、法を犯すようなことを「やる」というのは、誘われた人に嫌われてはいけないとか、言うことを聞いておいた方が楽だという、自分を誤魔化した結果です。

 

万引きをする時、コソコソと人の目を気にして、隠れて盗むという行動に出るのは、

 

本当は、「万引きをしてはいけない」とわかっているからです。

 

 

 

 

 

わたし自身、半年ほど前までは、自分が肯定の選択をしているとか、否定の選択をしているとか、全く知りませんでした。

 

現実の世界を観て、自分の意識の世界と照らし合わせながら、

 

「こうすれば、どうなるんだろう。」

 

そんな検証を繰り返してきたことで、

 

否定の選択をすると、必ず停滞が起こり、肯定の選択をすると、必ず前に進んで行き、望む方向へ舵を取れることを知りました。

 

 

1分先の未来も、1時間先の未来も、1日先の未来も、1年先の未来も、10年先の未来も、

 

全ては、『今、この瞬間』が決定しています。

 

 

 

誰かと喧嘩をして、仲直りしなかった先のタイムラインと、

 

誰かと喧嘩をして、仲直りした先のタイムラインは、全く別のラインです。

 

 

 

 

いつもいつも、わたし達は、

 

 

 

どちらに向かって歩いてくのか、決定しています。

 

 

 

『肯定』の選択の先には、『肯定』の世界があります。

 

 

それが『肯定』の選択か、『否定』の選択かは、

 

『本当のわたし』が、わからなければ、とても難しい選択になってしまいます。