他の人からみれば、

 

「そんな願いが叶っても、何も変わらないじゃない。」

 

そう言われてしまうような、些細な願いが、叶っている。

 

 

 

 

 

昨年の8月20日に、父が91歳で亡くなりました。

 

父は、自分が死んだら、医学生の解剖の献体にして欲しいと登録をしていました。

 

父の望んだとおり、お葬式のあと、大学へと運ばれていきました。

 

 

 

そして、1年経って昨日、遺骨をお返ししたいと連絡があった。

 

昨日は、父の、生きていたら93歳の誕生日でした。

 

 

 

 

 

わたしは、社会福祉協議会で働いていますが、当会では、介護保険サービス事業や障がいサービス事業を行っています。

 

この事業は、国や県、市町の運営規定通りに事業を行う必要があります。

 

規定通りに行っているかどうかは、記録(書類)をみてもらう以外にありません。

 

わたしは、各事業所が、運営規定通りに事業を展開しているかを確認する部署にいます。

 

 

 

年に2回は、各事業所の書類を確認しにいく作業(内部監査)をしています。

 

8年以上もその内部監査を続けた結果、各事業所での書類は、どんどん整備されていきました。

 

ところが、1つの事業所だけが、3年前から指導をしているのですが、いつまでたっても合格ラインに達することができず、他の事業所は年2回の内部監査ですが、その事業所だけは、年4回入りました。

 

令和5年度になってからも、一斉の内部監査の前にその事業所に行き確認すると、やはりまだ不備がありました。

 

行き当たりばったりでしているため、作業が後手後手になっていました。

 

一斉の内部監査があって、やっと少しの修正で終わりましたが、このまま後期の内部監査まで確認しないでいると、また元に戻ってしまう可能性があったため、昨日監査に入りました。

 

きっと監査に時間もかかるだろうし、不備があるんだろうなと思いながら事業所へ行き、書類を確認すると、

 

なんと、完璧な状態でした。

 

今のレベルなら、他の事業所の中で一番、利用者さんへの支援記録も充実したものです。

 

わたしはまるで、別の世界にでも来たのかと思いました。

 

課長や係長が、監査の間にも、何回も通って指導をしてきてもできていなかったのに、昨日は、申し分ありませんでした。

 

 

 

 

 

先ほど、夕食の後片付けをしていたら、長女が、「お母さん・・・」と話しかけてきました。

 

どうしたのかと思ったら、明日の夜、マッサージをしてくれるというのです。

 

長女は、マッサージがとても上手です。毎日でもして欲しいくらいですが、長女にとっては、気が向いた時です。

 

わたしの体が、どうにもならないくらいこっている時は、お願いしますが、それ以外は、やはり長女も自分の時間を楽しみたいでしょうから、何とかやり過ごせる時は、依頼しません。

 

でも最近、右首や足の裏などが張っている感じがしてて、「マッサージして欲しいけどなぁ」と思っていたら、自分から言ってきてくれました。

 

もちろん、明日マッサージをしてもらいます音譜

 

 

 

 

 

目の前の現実と、今のわたしを照らし合わせて、肯定の選択行動をする。

 

 

ジャッジしたり、コントラストを遣ったりするわたしがいますが、

 

「そう思ったんだよね。」「うん、そう思った。」

 

と、あるがままのわたしを、ひたすら認めていく。

 

 

目の前の人が、何を望んでいるのか、目の前の人に意識を向け、願いを叶えたいと思う方向へと舵を取る。

 

わたしが、今何を考え、何を思って、どんな行動をしようとしているのかを観察し続け、肯定へとつないでいく。

 

意識を向けるのは、過去でも未来でもなく、『今、この瞬間』で舵をとっていく。

 

 

 

 

叶う願いは、わたしの分相応です。

 

 

それでも、わたしが思っていた、なんてこともない、

 

「そうなればいいなぁ」が叶っていくのは、

 

 

 

 

打ち上げ花火のような派手さはなく、むしろ、

 

 

 

 

線香花火のように、目の前で火花を散らしているだけかもしれませんが、

 

手の届くところにある、

 

目の前にある、

 

そんな願いも、捨てたもんじゃないな。