わたしは、『循環』の『理』を、全くわかっていませんでした。
「そういうことだったのか!」
『理』がわかったので、やってみようと思いました。
そこには、子どものようにワクワクしているわたしがいました。
出勤すると、課長とYちゃん(わたしと同じ課の職員)が、課長の携帯を見ながら、何やら笑っています。
直ぐに、課長のお孫さんの動画だとわかりました。
以前のわたしは、そういうことに興味がないので、挨拶したら自分の席について、パソコンを立ち上げていました。
でも、今日のわたしは、自我を最後尾に押しやって、
「何見てるの?」と駆け寄って、可愛いその姿を見て、一緒に笑いました。
知人から、
「息子のこういう症状が心配だから、何処かいい病院知らない?」
と、LINEが入りました。
以前のわたしなら、「知らないわぁ」と答えるだけでした。
でも、今日のわたしは、自我を最後尾に押しやって、
直ぐにネット検索をして調べて、報告しました。
残念ながら、以前に受診したことがあったけど、息子には合わなかった所だと返事が返ってきました。
ネットで調べるなんて、知人にとっては何でもないことです。
きっと調べてるはずです。
だのにわざわざわたしに聞いてくるのは?
息子さんを見ているのが、辛いんだと思いました。
「辛いんだね。」
そう返信すると、「うん」と。
知人は、自分の想いを伝えながら、自分で病院をネット検索したようで、息子に行くかどうか聞いてみると返事が返ってきました。
夕食を食べ終わった頃に、入所している母から電話がありました。
自分の居室を片づけたいから、家で使っていたケースの幅が35㎝以下ならクローゼットに入るから、25日の月曜日の眼科受診のあと、家に戻って確認したいから覚えてといて欲しいと言います。
今、わたしが測ってあげれば、そのケースが35㎝以下かどうか直ぐにわかります。
でも、わたしの「めんどくさい」が発動し、「じゃあ、25日に自分で確認すればいいじゃない。」と母に言います。
そんなわたしの自我を、最後尾に下げて、
携帯電話を持って、母と話しをしながら、メジャーを持ち母の部屋に行き、ケースの幅を測ると、30㎝でした。
母は、「あ―よかったぁ」と、元気一杯喜んでいました。
目の前の人が言う一言の奥に、どんな望みが隠れてるんだろう。
その望みを知りたい、叶えたい。
そんな想いで、一生懸命に話しを聴きました。
そこには、ジャッジもコントラストも、わたしの想いも何もありませんでした。
ジャッジやコントラストは、いとも簡単に消滅してしまいました。
わたしの職場の係長とYちゃん、そしてわたしの夫は、
いつも、相手の望みを叶えていました。
そこには、損得も、~しなければならないも、保身も一切ありませんでした。
わたしは、その姿をずっと見ていたのに、気づかなかったんです。
答えは、目の前にありました。
これが、わたしの当たり前の日常になるように、
『今、この瞬間』を逃さない。