いつも、時間に追われるように生きていました。
家のこと、子どものこと、仕事のこと、親のこと、友達のこと・・・
自分の想いや感情で、言葉を発したり、行動していました。
“男はいいよね。仕事が終われば、家事なんて何もしなくていいんだから。”
“子どものことも、家事のことも、全部わたしばっかり。いつになったら解放されるんだろう。”
そんな世界しか知らなかったわたしは、いつも疲れていました。
土日は、何処にもいかず、家事もせず、ただひたすら眠っていたい。
だけど、土日に掃除や買い物をしないと、月曜日からは仕事だし・・・
毎日が、日常生活と闘っているような状態でした。
常に、わたしに意識を向け、
今、何を思い、何を考え、何をしようとしているのかを、一瞬たりとも目を離さずに観ていく。
想いや感情で動こうとするわたしを、一旦ストップさせる。
肯定の方向に意識を向け、行動へと繋げる。
まだ、3割くらい、今この瞬間を逃してしまっています。
この精度を上げていく。
今、この瞬間を、どの方向へ舵を取ろうかと数秒の間に選択していきます。
わたしは、肯定の方向へ舵を取りますが、肯定の方向とはどちらなのかは、何度も何度も訓練しながら習得していきます。
「忙しくて、選択している時間などない。」
そう思っていましたが、
自我を手放していくと、段々と観える世界が、ゆっくりと流れていくのがわかります。
自我優位の時は、相手の言動や行動に、間髪入れずに対応していましたが、そんな必要はありませんでした。
今、この瞬間を選択できることは、めちゃくちゃ楽しい。
悲しい想いをすれば、悲しい方向
辛い想いをすれば、辛い方向
怒りを感じれば、怒りの方向
想いや感情が、次のタイムラインを決定していました。
今、この瞬間のタイムラインを自由に決めていい。
それは、とても解放された感覚です。
自我の想いに引っ張られたなと、後になって気づくこともありますが、100%やり切る方向へ向かいます。