『現実世界』は、『学び』の宝庫でした。

 

 

 

 

現実世界で、わたしにとって『不快』を感じるような出来事が起こると、直ぐに自我の幻想物語が発動します。

 

「あの人が、ああ言ったから、わたしはそうしたのに、何でわたしが怒られなきゃぁいけないのよ。」

 

「手伝ってって言われたから手伝ったのに、何で文句言われなきゃぁいけないのよ。」

 

 

 

 

そんな、自我の幻想物語は、わたしが気づくまで、延々と続けられます。

 

どんなに物語を続けても、わたしは少しもすっきりしない。

 

それどころか、もっと悶々してきます。

 

 

 

あなたに、「わたしが悪かった」と、謝ってもらいたい。

 

でも、そう言ったら、もっと関係が悪くなるのはわかっているから、我慢しておこう。

 

大人げないって言われたらイヤだから、言わないでおこう。

 

 

 

そうやって、自分を誤魔化して、明日は、そんな気持ちを抑えながら、挨拶をする。

 

でも、心の中では、スッキリしていない。

 

 

 

 

 

自我の世界に、どっぷり浸かっていた時、こんなややこしいことをしていました。

 

わたしがスピリットで、『学ぶ』為に生まれたことを、全くもって忘れていたからです。

 

 

 

 

わたしが観る世界に、どんなことが起ころうと、わたしを観察し続ける。

 

 

 

 

 

自我は、一瞬にして発動します。

 

わたしの想いや感情が優先されるため、

 

腹が立ったら、腹がたったまま言葉を発し、行動に移ります。

 

たとえ、感情を抑えても、その言葉や行動には、怒りのエネルギーが乗ったまま放出します。

 

 

 

そして、放出した怒りのエネルギーは、必ず還ってきます。

 

再び、腹が立つような出来事が起こり、再び怒りのエネルギーを放出するという、ループを延々と繰り返します。

 

 

 

このループに気づかない限り、延々と繰り返されます。

 

 

 

 

自我は、わたしが一番正しい位置にいると思っています。

 

ですから、わたしが認めることは受け入れるけど、認めないことは受け入れないと、拒否をしてきます。

 

わたしが間違っていると思われるなんて、絶対に赦せないんです。

 

 

 

「わたしは、やりたいと思ってるんですけど、やらせてくれないんです。」

 

「もっとわかりやすく言ってくれたら、わたしも引き受けたんですけどね。」

 

 

 

 

本当は、めんどくさいと思っていたわたし。

 

本当は、わたしには難し過ぎて、間違っていたら、役に立たないと言われるのがイヤだと思っていたわたし。

 

本当は、最初から引き受ける気持ちなんてなかったわたし。

 

 

 

そんなわたしがいたことには、全く向き合わずに、誰かのせいにするのが、自我は大の得意です。

 

 

 

最初から、やっていれば、

 

最初から、引き受けていれば、

 

こんな言い訳はしません。

 

 

 

 

どんな選択をして、どんな行動をするかは自由なのですが、

 

宇宙の法則は、1㎜もくるいません。

 

 

 

その選択した行動によって、必ずタイムラインが創られていきます。

 

 

 

そんなしくみがあることを知って、

 

わたしは、わたしを徹底的に観察する方向へ舵を取るようになりました。

 

 

 

 

本当は、「めんどくさいと思っていたわたし。」がいたなら、「そう思っていた」と認める。

 

その時点で、自我の幻想物語は発動しません。

 

 

ただ、この世界のしくみは、認めるだけではタイムラインの変更はされないしくみになっています。

 

じゃあ、どうするのか。

 

肯定の選択行動をしていきます。

 

 

 

 

自我は、いつだって発動します。

 

1回や2回、気づいて行動しても、すぐさま次の自我が発動します。

 

 

それでも諦めない。

 

それでも継続する。

 

 

この世界は、『学び』の宝庫です。