霊性進化プロセスには、段階がありました。
それは、本当に地道に、一段一段、丁寧に踏みしめて階段を昇って行くようなイメージです。
300冊以上の精神世界の本を読みあさっていた時、今まで知らなかったことを知るようになり、自分もその本の著者のように成れる気分になりました。
確かに、知識は増えましたが、わたしの観える世界は、何も変わりませんでした。
それは、歴史に興味を持って、たくさんの本を読みあさって、誰がどんな時にこんなことをしたということを覚えることはできたけど、わたしはその歴史の中に生きていないから、どんなふうにその場を切り抜けたのかというような、実際に体験したことがないことは言えないのと似ています。
本を読んではいけないというお話しではありません。
わたしには、わたしの分相応があったんです。
何かで成功しているような人をみると、その人のように成りたいと思い、その人の真似をしていれば、同じ位置に立てると思いがちですが、そうはならないことがほとんどです。
それと同じように、どんなに焦っても、どんなに努力していても、今のわたしにピッタリの位置でないと、空回りばかりして、望む結果にならないことで、
「結局、わたしには無理だった。」
そう思って、諦めてしまう。
霊性進化プロセスは、わたしの全てが活かされていきます。
この世界に生まれてからだけでなく、過去世も含め、全て活かされています。
300冊の本を読んだことで、わたしは、読み切ったと思えましたから、本に頼らなくなりました。
もちろん、まだまだ何千冊とあったと思いますが、何冊読んだかではなく、この「やり切る」というのは、霊性進化プロセスで、いつも必要だと思いました。
わからないことを、わからないなりにも、自分に問い続けながら、検証を繰り返し、試行錯誤していくと、必ず次の扉が開きました。
それでよかったのかどうかなど、さっぱりわかりません。
その扉の向こうになにがあるのかなど、さっぱりわかりません。
ただただ、その世界を観てみたい。
そう思う気持ちと、これをやったらどうなるのか?
という検証を続けてきました。
振り返ると、必ずプロセスを一段一段昇ってきたように思います。
飛び級は、ありませんでした。
おまけに、その一段一段を、次の一段でも活用しなければなりませんでした。
例えば、
自我を超えるには、めんどくさいを超えないといけないのか。
と、わかったら、
めんどくさいという想いを超えて、実行していく。
それを、1回や2回しただけでなく、そうしないと気持ちが悪いと、めんどくさいを超える方が、気持ちがいいと思えるまで、やり続けていく。
それが身に着くと、次の段階へと進んでいきました。
自我という、とてつもなく磁場の強いこの世界を脱出するには、この磁場を引きはがす意識とエネルギーが必要になっていきます。
「自我の世界を脱出したい。」という想いだけでは、到底引きはがすことはできません。
この時に、今まで私が身に付けてきた全てを総動員させる必要がありました。
3段目と、5段目だけを真似をすればいいだろうという、甘い世界ではありませんでした。
でも、いつも思いました。
2段目にいた時は、3段目がどんな世界なのかさっぱりわからないのに、3段目の世界に入り込むと、
「こんなことが、どうしてわからなかったんだろう。」
そう思いました。
宇宙の法則は、とてもシンプルです。
でも、自我が複雑にしてしまってました。
小学3年生の問題を解こうとしているのに、小学5年生の本を参考にしてもさっぱりわからないのは、自分の立ち位置がわかっていなかったからでした。
小学3年生なら3年生なりに、1年生や2年生の時に習ってきたことを踏まえて、自分で一生懸命に解いてみる。
それでもわからなかったら、誰かや、本を読んでみると、そこに答えがあったりします。
宇宙の法則は、一切の誤魔化しがききません。
自分で考えるのは、めんどくさいから、
色々試してみるのは、時間の無駄だから、
だから、早道を誰かに教えてもらおう。
宇宙は、この想いが、還って来るしくみがあります。