7月の中頃から、母の血圧が不安定になり、循環器内科受診をし、降圧剤の種類を増やしたり、量を増やしたりしながらコントロールをしていました。
血圧は、人によっては180台であろうと、何の症状も出ない人もいますが、母の場合は、血圧が上がり出すと、頭痛がして目もかすみはじめ、気分も不快になるため、横になって寝るという対応をしなければなりません。
そのため、大好きな手芸もできない状態になってしまいました。
再び、元の生活に戻りたいと思い、再度循環器内科を受診し、様子観察中です。
以前にもそんなことがありましたが、1週間もすれば回復して元の状態に戻れたのですが、今回は、回復しません。
食事量も減り、買い物にも行けない、お風呂に入るのもしんどいと言います。
トイレや食事以外は、ほぼ横になって寝ています。
そんな母をみている看護師であるわたしは、直ぐに考えます。
「プレドニンを長く内服しているせいかなぁ。この間、あの薬を減らしたからかなぁ」
「このままだと、日常生活ができなくなるし、これからどうしていこうか。」
そんなふうに、母の様子と、病気と、介護サービスのことを考えていました。
ところが、ふと1週間ほどまえ、
「え?これって、わたしの鏡? しんどいと思っているのはわたし?」
そうだったんです。
わたしが、しんどいと思っていたんです。
毎月第二火曜の、自己免疫疾患の為の内科受診と、2ヶ月毎の眼科受診。
そこへ体調が悪くなると、その都度仕事を休んで病院受診。
それがイヤだとか、そういうことではなく、ただしんどい。
そんなことを思っていた自分に気づきました。
わたしの観える世界が、あまりにも穏やかで、ぬるま湯に浸かっているような状態の日々が続いて、そんな時に、母のしんどいが始まりました。
わたしは、『鏡の法則』を遣うようになってから随分たっても、家族には、『鏡の法則』が遣えませんでした。
あまりにも近すぎて遣うことができませんでした。
穏やかな毎日は、心地よく、このままならいいんじゃないかと、
自我の世界を脱出した世界を観たいという意識から外れ始めていました。
これが、わかっているようで、わかっていない。
何となく、そうじゃないよなぁ~と思っているのに、そこを観ようとしない。
停滞です。
この停滞を脱出したい。
そう思うのですが、どうやったら脱出できるのかわかりませんでした。
『鏡の法則』を遣える位置に意識を立てようと思うのに、立てることができません。
母への想いが、わたしにベッタリくっついて離れない。
そんな時に、
『そう思ってるだけ。』
そう聴こえたことで、
「そうか、そう思ってるだけなんだ。」
やっと、剥がれることができました。
「そうか、わたしだったんだ。」
そう気づいたわたしは、明日の朝になったら、母はいったいどうなっているんだろう。
もしかして、しんどいのが無くなってるの?
そう思いました。
翌朝になって、母の部屋を訪ねて様子を聞くと、「しんどいのは変わらない」と、ベッドに横になったままの母が言います。
仕事から帰って、母の部屋を訪ねて、再び様子を聞きますが、「しんどいのは変わらない」と。
そして、母が言いました。
「施設に行くわ。」
父が入所していた施設に行くと言います。
え そう来ましたか
娘に、これ以上迷惑をかけたくないという想いは、十分わかりました。
部屋が空いているかどうか聞いて欲しいと言うので、夕方5時前でしたが、電話をしてみました。
「1つだけ部屋が空いている。」という返事で、9月4日入所することに決まりました。
今日は、テニススクールの日でしたが、休むことにして、入所に必要な物を買いに行きました。
わたしができる最善を尽くそうと思っています。