「〇〇してくれない?」
“めんどくさいなぁ~”
「後でやるから、置いといて。」
「ちょっと、ややこしい仕事なんだけど、頼めないかな?」
“え~、そうなら、他の人に頼めばいいじゃん。”
「あ~、すみません。こっちの仕事がまだ残ってるんで、他の人にお願いできますか?」
「賞味期限切れの物や、残り物がいっぱいになってきたわぁ~」
「でもま、いっか。明日、片づけようっと。」
そんなふうに思う事が、当たり前の世界にいました。
今の自分の想いや感情が優先で、この選択が、どんな意味を持っているかなど、考えてもいませんでした。
思う通りにいかない。
いつも、拒否される。
こういう流れは、自分が『否定』の選択行動をしていることで、循環されるはずの流れをせき止めています。
そうと分かれば、『肯定』の選択行動を取れば、循環という流れが始まることになります。
『肯定』とは、本当の自分と一致した選択行動のことです。
自我優位であると、「めんどくさい」と思い、「後でする。」という事が、自分と一致した選択行動だと思いがちですが、本当のところは、そうじゃないはずです。
ぜんぜん、いい気分じゃないはずです。
「後でする。」 と言いながら、頭の中では、ブツブツブツブツ、自我の言い訳物語が始まっています。
自我は、自分を正当化させないと気が済まない。
そんな自我の特徴を段々と知るようになって、
自我のいいなりになると、とても不快な感情や感覚を感じるようになっていきました。
それは、誰かから何かを言われた時だけでなく、
わたしの中で、
「ここを片づけようかな。」
「あ、またにしよう。」
と、わたしが、ふと思ったことを否定した時にも、感じるようになりました。
自分の意識に意識を向けるようになって、余計にこの『快』『不快』が明確にわかるようになっていきました。
ですから、『肯定』の選択行動を、瞬時にできるようになっていきました。
その世界は、心地良い世界です。
この心地良さを知ってしまうと、わざわざ自我のいいなりになって、なんで不快な感覚を味わう方を選択していたんだろうと、不思議な気持ちになってしまいます。
本当のわたしと一致する方向へ舵を取る。= わたしが決定した『魂の羅針盤』の方向へ舵を取る。
自我のいいなりになっている限り、1㎜も観える世界は変わりません。
目の前の現実から、