本当は、今、何をすればいいのか、1番わたしがわかってる。
「電車の中で座っているわたしの目の前にいるおばあさんに、席を譲ってあげたい。」
でも、自我が言う。
「偽善者だと思われるよ。寝たふりして、気づかなかった振りをすればいいんだよ。」
本当のわたしは、席を譲ってあげたいと思っているのに、自我の言いなりになって、イヤな気分になる。
イヤな気分になるので、自我は幻想物語の創造を開始する。
「わたしだって疲れてるのよ。朝は5時に起きて、夫や子どもの弁当を作って、子どもを保育園に送って、それから仕事に出かけて・・・。出社してから、お昼休憩まで一切座ることができなくて、午後からもずっと立ちっぱなし。電車に乗って、やっと座れたと思ったら、ばあさんがわたしの前に来るし。他の人の所へ行けばいいのに、なんで私の前に来るかなぁ~。どうせあなたは、一日中たいしたこともしてなくて、直ぐに降りるんでしょ?」
そうこうしていたら、隣に座っていた人が、おばあさんに席を譲った。
「なによ。いい人ぶっちゃって。わたしも今、代わってあげようかなって思ってたわよ。あ~、今日は、一日中不愉快なことばっかり。」
「会議で、わたしの考えていることを話したい。」
でも、自我が言う。
「意見なんて言ったって、どうせ誰も聞いてくれないよ。先輩たちの意見が通っていくに決まってるじゃない。反対されるだけだよ。言うだけ、損、損!」
本当のわたしは、自分の考えを言いたいと思っているのに、自我の言いなりになって、言いたいことを言わない。
会議が終わってから、
「ねぇねぇ、あの先輩って、いつも自分の意見を押し通すよね。あれじゃあ誰も意見が言えないよね。」
と、自分が意見を言わなかったことを、先輩のせいにする。
本当は、どんな行動をとればいいのか、わたしはわかってる。
だけど、自我が言う、
「めんどくさいから、あとでしよう。」
「周りの人に、どう思われるか心配だから、やめよう。」
「わたしばっかり損をするのはイヤだから、誰かするまで知らないふりをしよう。」
こんなことは日常茶飯事で、そうやって自分のやりたいことを、我慢という蓋で閉じ込めるなんてお手の物。
いつものことだし、大したことない。
そう思うこの毎瞬が、わたしの決定した『魂の羅針盤』から、どんどんズレていっていること。
そう思うこの毎瞬が、わたしを目覚めさせるタイムラインから、どんどんとズレていっていることに、気が付けない。
自我意識は、記憶を再生するのが大の得意です。
ああすれば、こうなる。
こうすれば、ああなる。
まだ、決まってもいない未来を、記憶通りに決定してしまう。
で、言うのです。
「ほらね。やっぱりそうなった。」
そうなるのは、当たり前です。
意識が決定した方向へ舵を取って行動すれば、その結果に辿り着くのは当然です。
宇宙の法則通りです。
『魂の羅針盤』の示す方向は、
本当のわたしと一致した方向です。
「そう思ったんだけどさ、でもね・・・」の方向は、どんどんと羅針盤の示す方向からズレていきます。
「席を譲ってあげたい。」
「意見を言いたい。」
それを実行したあとのことを考えているのは自我意識であって、わたしではありません。
霊性進化プロセスで常に問われているのは、
「周りの人がどう思っているか。」ではなく、
「わたしが、どうするか。」 です。
宇宙の流れは、『肯定』の流れです。
この流れに乗ることが、どれほど心地いいのか体験してみればいいんです。
昨日、息子の専門学校時代の友人が、10年ぶりに訪ねてくれました。
21歳だった友人は、31歳になり、ビシッとスーツを着こなした、バリバリの営業マンになっていました。
彼は、学生の頃、とてもやんちゃだったらしいのですが、これではいけないと学校の先生に相談したところ、息子が行っていた専門学校を紹介してもらい、ホテルマンになりました。
彼は、専門学校に入学したての頃は、とても成績が悪かったらしいのですが、その時に初めて、
「俺は、何も知らないんだ。」と思ったそうです。
それで、このままではいけないと、一生懸命に勉強して、何か資格を取ろうと、ワインのソムリエを取得したそうです。
そして、そのソムリエを取得したことで、他の職場から誘いを受けることになり、そこから営業の方へと異動になり、大学卒しかなれなかった営業の部門に、特例で抜擢され、今では高額の年収を得られるようになったそうです。
今の営業の仕事が大好きで、会社そのものに、とても誇りをもっていました。
結婚もして、二人のお子さんがいて、今度はマイホームを建てる為に、土地を購入したそうです。
自分が生まれて住んでいたのがマンションだったので、一軒家に住みたいと、その望みを叶えようとしています。
とても自分に正直に生きているなと思いました。
今日は土曜日で、いつも母と食料等の買い物に出かけます。
でも、今日は、母があまり気分がよくないと、わたしだけで買い物に行くことになりました。
(※お昼ご飯は食べてますから、大丈夫です。)
母が書いたメモを見ながら買い物をしたのですが、帰ってきてから1つだけ買い忘れがあることがわかりました。
わたしはもう既に、外着からラフな格好に着替えています。
できれば、もう外に出たくないと思っています。
でも、買ってこないと母が困るので、いつも行くスーパーより近いスーパーで買ってくればいいか。と思いました。
でも、自分に問いました。
「それが、最善の選択か?」
「いや、違う。いつものスーパーへ、もう一度行こう。」
そう決めて、外着に着替えて出発しました。
スーパーに向かう途中、母から電話が入ったので、車を停めて電話に出ると、メモに書いてなかったけれど、もう一つ欲しいものがあるというのです。
その欲しいものは、いつものスーパーにはありますが、近くのスーパーにはないものでした。
「あぁ、こんなふうに流れるんだ。心地いいなぁ」
そう思いました。