目の前に現れる現実世界の壁を、

 

どうやったら乗り越えられるのか。

 

乗り越えたあとに、どんな世界が観えるのか。

 

全くわからないまま、検証という体験を繰り返してきました。

 

その結果、自我の世界の存在に気づくことになりました。

 

 

 

自我の世界に、自分がいることに気づいてからは、

 

自我の世界を脱出するには、どうすればいいのかと、

 

目の前の現実を遣って、検証という体験を繰り返してきました。

 

 

 

 

観えてきたのは、『魂の羅針盤』でした。

 

 

 

 

生まれる前に決定してきたルートなんだろうと思いました。

 

わたし独自のルートなんだろうと思いました。

 

 

誰に言われるでもなく、わたしが興味を持ち、やってみたいと思う方向。

 

主導権を握るのは、わたしではないのだろうと思いながらも、自我は出しゃばってきます。

 

 

 

 

自我は、

 

結果を求めます。

 

損得を考えます。

 

わたしが持っている知識や体験を優先させます。

 

主導権は、わたしが握っていると思っています。

 

 

 

 

 

先週の水曜日、とても面白い、初めての体験をしました。

 

 

知人とお話しをしている時です。

 

知人は、実母が言う言葉の一つ一つが、重くて仕方ありませんでした。

 

お母さんが、話しをしだすと、

 

「あぁ、もう忙しいから。」

 

と、逃げるように帰ることを繰り返していることを話してくれました。

 

 

わたしは、「忙しいの?」 と、ただ一言だけ、知人に質問しました。

 

 

知人は、目を丸くして驚いた顔をしながら、

 

「忙しくない。たっぷり余裕がある。わたし、忙しいって理由を付けて、逃げてたんだ。」

 

と、気づきました。

 

知人は、家に帰ったあと、お母さんに電話をして、気づいたら1時間話しをしていたと、メールで教えてくれました。

 

 

 

わたしの、面白い初めての体験とは、わたしが、「忙しいの?」と言った時のことです。

 

「忙しいの?」と言った時、わたしは、そう言おうとか、全く何も考えてなかったんです。

 

だのに、言葉が出ました。

 

まるで、知人のガイドが、

 

「忙しいの?って質問してあげてよ。そうすれば気がつくから。」

 

そんなやりとりでもしていたかのようでした。

 

 

 

この体験をした瞬間から、感動と、ワクワクと、興奮が入り混じったような感覚を感じています。

 

この体験で、確信しました。

 

この肉体であるわたしは、仲介役だと。

 

知人とわたしの仲介役とかではなく、わたし自身のことです。

 

 

 

わたしは、「空(くう)」であり、何者でもない。

 

体験したかったのは、意識の世界のわたし。= スピリット。

 

肉体のわたしが体験し、観察したことが、意識の世界のわたしが体験したかったこと。

 

 

 

 

わたしは、いつこの肉体から離れるのかを知りませんし、

 

どんな『魂の羅針盤』の決定をしてきたのかも知りません。

 

 

 

 

ただわかるのは、

 

目の前の現実を、ただひたすら肯定の流れに乗せていくこと。

 

 

 

随分前に、「宇宙の采配に委ねればいいんだ。」と、このブログでも書いたように思いますが、自我優位では、到底無理だったんだと今ならわかります。

 

委ねればいいんだと言いながら、結果を望んでいましたからね。

 

 

 

 

わたしの意識に意識を向け続けるのは、人間意識で言えば、集中力がいります。

 

でも、もうずっとそうやってやり続けてきたので、しんどくはありません。

 

 

 

どんな『魂の羅針盤』を決定してきたんだろう。

 

肉体を離れるその瞬間に、答えがでるんでしょうね。

 

 

 

 

「未来を観る」というよりは、「振り返って観る」ような感覚です。

 

本当のわたしの望む通りに、生きてみる。