『願いは叶う』

 

本当に!? 本当に、願いは叶うの!?

 

 

 

スピリチュアルに関連する本を読むと、どの本にも書いてありました。

 

『願いは叶う』 と。

 

 

 

でも、どんなに望んでも、年収が1000万円にはならない。

 

だけど、「柿が食べたいなぁ~」 と、ふと思いながら職場に行くと、机の上に柿が置いてある。

 

 

いったいこの差は、何なんだ。

 

 

 

まだ、『この世のしくみの理』を知らなかった頃の私。

 

 

 

 

 

『願いが叶う理』の結論から言えば、

 

かる~く、「◯◯になるといいなぁ~」と、宇宙にオーダーして、あとは『今、この瞬間』を生きればいいだけです。

 

宇宙とは、私自身のことです。

 

 

 

 

 

願いは叶わないのではなく、叶ってしまうのです。

 

ここに影響しているのが『自我』なのです。

 

 

 

この世は、陰陽一対の構造で出来上がっている為に、私の望むことと、望まないことが生まれます。

 

望まないことが生まれると、その体験をしたくないと、無意識にその体験から回避しようと意識が働きだします。

 

傷つきたくない、辛いことは体験したくない、悲しい気持ちになるのはイヤだ、苦しいのは味わいたくないという気持ちから自分を守ろうとするうちに『自我』が創られていきました。

 

 

この『自我』の特技は、

 

 

 

綱引きをすることです。

 

そうしたい意識と、そうしたくない意識が、いつも同じだけの力を持っているために、いつまでたってもどちらも勝てないし、どちらも負けない。

 

ですから、この『自我』に気づいて手放すと、『自我』は綱引きを止めるので、抵抗しなくなり必要な時に協力してくれる宝物に生まれ変わります。

 

 

 

 

 

ふと、「◯◯になるといいなぁ~」と思ったこの状態の時は、意識界にいる私の願いです。

 

あとは、行動に移していけばいいのです。

 

 

 

人間意識では、何か目標があるときに、そこから逆算して、◯月までにはこれをして、◯月までには完成させる。のような意識が働きますが、これは、この世のしくみの理の流れとは真逆なのです。

 

 

 

「◯◯になるといいなぁ~」と思ったのは、意識界の私です。

 

意識界の私に任せればいいのです。

 

 

人間意識の私は、生まれてから自分が得た知識や体験から、

 

「〇〇になるためには、これは必要ないな。」

「〇〇になるためには、これは必要だな。」

 

と、意識界の私の意見など全く聴かずに進もうとしてしまいます。

 

 

 

よくよく考えれば、いえ、よくよく考えなくても、意識界の私は、宇宙そのものです。

 

無限の叡智を持っている世界にいます。

 

だから、意識界の私に主導権を渡せばいいのです。

 

ところがです。

 

『自我』は、待てない。信じられない。不安で一杯。

 

委ねることができないのです。

 

 

 

だから、願うと直ぐに、

 

「いつ叶うんだろう。どうやったらいいんだろう。何をすればいいんだろう。」と、

 

不安だらけで、「願いは叶わない」 というエネルギーを放出しまくります。

 

これが『自我』そのものですから、また綱引きが始まります。

 

 

 

 

『自我』は、自分が生まれてから今までに得た知識や技術や体験に感情をくっつけたようなモノです。

 

この感情を、その知識や技術や体験から外してしまえば、自分にとって最高の宝物に変わってしまうのです。

 

 

 

 

「〇〇になるといいなぁ~」

 

その瞬間にオーダーは飛び、プロセスが開始されます。

 

そのプロセスは、特別なことではなく、日常に存在します。

 

 

 

目の前に現れた現実を観察して、

 

感情が炙り出されたら手放し、

 

毎瞬毎瞬の選択に意識を向け、

 

ふと思った閃きを行動に移し、

 

丁寧に生きる方向へと行動していけば、いつの間にか願いは叶ってしまっているのです。

 

 

 

 

意識界の私は、肉体(思考)を持った私が、どんな知識を持ち、どんな技術を得、どんな体験をしてきたのか全てを知っています。

 

 

その私の全てが一つ一つスパイスだとすると、それはそれは見事に、この現実世界と調合させて、素晴らしい最高の味に調理してくれるのです。

 

 

人間意識では不可能です。

 

 

 

 

 

私は、このブログと同時に、過去の日記も書かせて頂いていますが、日記に書いていた願いが、ほとんど叶っていることに最近気づきました。

 

日記を読み返すまで、忘れていたような願いです。

 

 

そして今年、年収が1000万円を超えていたことに、今、気づきました。

 

人間意識という狭い範囲でしか考えられなかった私は、年収1000万円というと、「自分の給料が」と思い込んでいました。

 

でも、私の願いは、「年収1000万円」だったわけで、その願いは叶ってしまったのです。