『鏡の法則』を遣うことで、自分を知ることに繋がって行きます。

 

 

 

この人間社会で、毎日色んなことを考え、色んな行動をしている私が私であって、私は私のことを一番わかっていると思っていました。

 

何かの研修で、自己紹介をするときに、

 

「自分は、こういう性格で、こういうことが好きで、こういう仕事をしています。」

 

それが私であることを疑う余地などありませんでした。

 

 

 

幼い時の記憶や、イヤな経験をした記憶、恥ずかしいと思うような記憶など、さまざまな記憶を時折思い出していましたが、それはただの出来事であって、「そんなこともあったなぁ」程度であり、

 

あの時は、あんなに辛くて、それこそ死んだ方がましだと思ったくらいだったのに、時間が経てば、なんであんなに悩んでいたんだろうと、そう思える自分に、「大人になったねぇ」と、人間関係でトラブルを起こさないように振る舞える自分に、良いんだか悪いんだかわからないような感情を抱いたものでした。

 

 

 

鏡の法則を、自分ながらに試行錯誤しながら遣いだした時、過去の記憶が今に影響していることに気づきました。

 

 


上矢印

昨日のブログでもお話しさせてもらったように、胸に感じる感覚を辿っていくと、この感覚は過去にも経験していることに気づきました。

 

その記憶は、自分が我慢していたことや、怒られたことや、辛かったことがほとんどでした。

 

 

それで気づいたんです。

 

梅干しを食べた時と同じなんだということに。

 

 

 

梅干しを食べた経験があると、梅干しのことを考えたり見たりするだけで、酸っぱいと生つばがでる。

 

このしくみと、こころのしくみは同じなんだと思ったんです。

 

 

 

 

もう、遠い昔のことで、そんな小さな頃の自分の感情が、大人になった今の私に影響を与えているなんて、思いもしなかった。

 

それでも、今感じている胸のモヤモヤを言葉に変換していくと、過去に感じたあの時の感覚と同じだと気づいて、それに気づくと、心が軽くなることがわかりました。

 

ということは、こうやって感情が炙り出されることは、過去の記憶を再現しているということなんだ。

 

じゃあ、感情が現れたら、過去に戻って、その時の私に声をかけるように、心の中で話しをしてあげたら、癒されるのだろうか?

 

 

 

そう考えた私は、感情が炙り出されたら、その感情に感じた感覚を、過去の自分と照らし合わすようになっていきました。

 

 

 

 

この段階では、『手放す』というよりは、過去の悔しかった自分や、我慢した自分、悲しかった自分を癒すことが、自分の心を軽くしていくことになるんだと思い、感情が炙り出たら、この作業を続けていました。

 

実際、それで心は軽くなっていきました。

 

 

 

ところが、この方法では立ちいかないタイミングがやってきました。

 

感情が炙り出されたから、過去の記憶に戻って、「これかな?」と探って、その頃の自分を癒してみる。

 

でも、何だか違う。何かが違う。

 

どうしたらいいんだろう。

どうやったらいいんだろう。

 

試行錯誤が始まりました。

 

 

 

後から気づくことになるのですが、このタイミングは、次のステップに上がるタイミングだったのです。

 

 

明日の、『鏡の法則 中級編』へと続きます。