『鏡の法則』は、自分を観察するためにあります。
三次元世界で、自分の顔や髪形や服装をチェックするのと同じです。
ただ、意識の世界の鏡は、自分を360℃どの角度からでも観察することができる。という違いがあります。
その他にも、三次元世界では、髪形や服装が、自分の思うようにピッタリときまっていなくても、
「ま、これくらいでいいか。」
と、見過ごすことはできるかもしれませんが、意識の世界の場合は、鏡を遣って自分のいるべき位置にピッタリと合わせる為に遣います。
意識の世界の鏡は、意識という観えない世界にありますから、意識を使ってその鏡を観ます。
感情は、意識界にいる自分からのサインで、
「ちょっと、ちょっと、あなたが選択する道は、そっちじゃないんだから、ちょっと立ち止まってくれないかなぁ」
とか、
「今、自分の自我が映し出されているんだから、それが何なのか気づくことができたら、手放すことができるから、めっちゃ軽くなるし、ワンランクアップした世界へ行けるよ。」
とか、
「その自我を手放せば、意識界の私と、グンと近づくことができるよ。」
と、応援してくれているんです。
その意味が分かった時、私は、
「誰か、私の感情を揺さぶって」
そう思いました。
昨日のブログでお話ししたように、
「Aさんのことを考えると、本当に腹が立って仕方がない。いつも人任せで、自分では何もしようとしない。」
と、Aさんのことを思った時、『腹が立つ』という感情の炙り出しが起こりました。
ここで、「おっ、感情が動いたぞ。」 と、立ち止まります。
「Aさんはいったい私に、何を教えてくれようとしてるんだろうか。」と、Aさんに向けていた意識を、自分の内側に持って行きます。
私達には目があるため、どうしてもAさんの容姿や態度に意識を向けてしまうのですが、観えない世界の鏡を遣うのですから、Aさんをどれだけ見ていても答えはでてきません。
頭(思考)を使っても答えはでてこないというわけです。
頭(思考)は、観える世界にあるのですから、観える世界で遣います。
ですから、意識の世界には意識を遣います。
肉体を持たず、スピリットのままでいたならば、言葉などいらず、いわゆるテレパシーで伝わるのでしょうが、肉体を持ってしまったので、言葉に変換されないとわからないわけです。
じゃあ、何を変換するかというと、『感覚』です。
私達人間には、見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触るという五感という感覚がありますが、これは三次元世界での情報収集のために遣う感覚なので、この感覚ではなく、胸の位置に感じる感覚を言葉に変換していきます。
Aさんのことを考えた時に胸に感じる感覚です。
ですから、もうAさんの顔を見ず、逆に言えば目を閉じて、意識を胸の位置に持って行きます。
意識は、頭の中にあるように錯覚してしまいますが、私たちは意識を何処にでも飛ばすことができます。
「指の先を見て。」
と言われた瞬間に、意識は指の先に向かいます。
「宇宙に浮かんでる自分を意識してみて。」
そう言われたら、ロケットを使うことなく、宇宙に浮かぶことができます。
そんなふうに胸に感じる感覚に意識を向けます。
そこに感じる感覚を、言葉に変換します。
「モヤモヤしているなぁ」
「何だか、重いなぁ」
「冷たい板があるみたい」等々、
この世界を、言葉に変換するような感じです。
私は最初の頃、このイラストの世界を言葉に変換するというよりは、このイラストに言葉を当てはめていきました。
「悲しい?ちがうなぁ」
「くやしい?ちがうなぁ」
「うれしい?ちがうなぁ」
というふうに、自分が今、胸に感じている感覚と言葉を一致させていくようにしていきました。
そして、
「あ!Aさんに感じてる感覚は、うらやましいだ!私ができないことをやれてるからだ!」
と、本当の自分の気持ちに向き合うようになっていきました。
意識界の私が、肉体の私に気づいて欲しかったことが、この答えでビンゴなら、一瞬にして重かった胸の感覚が、サッと軽くなります。
軽くなったと同時に、今まで感じていたAさんへのいら立ちが一瞬にしてなくなり、明日職場で会うイメージをしても、全くイヤじゃなくなります。
でも、胸の感覚は軽くならないし、相変わらずAさんのことを思うと、腹が立つのであれば、答えはズレています。
再度トライしてもいいですが、あまり考えすぎると、頭を使うことになって、よけいややこしくなるので、次のタイミングを待つ方がいいと思います。
意識の世界の答えに対して、頭を使っても答えは出てきません。
何故なら、頭は、自分の知識や経験の中から答えを出そうとするからです。
そもそも自我は、自分が正しいと思っている世界に存在していますから、その許容範囲から外には出られないのです。
「赤色だけが好き」と思っている自我に、「黄色もいいよ。」と言っても受け付けないように、答えは自我の外にありますから、いくら頭の中で考えても答えは出てこないのです。
Aさんは、ただ仕事をしているだけなのに、その姿を観て、人任せにしていると判断しているのは、誰でもない私なわけです。
こだわっているのは私です。
これはまだ鏡の遣い方の初級編です。
基本は、胸に感じる感覚=自分の意識の世界 を、この三次元世界に取り出す為に言葉にする。
要するに、観える化する。
文字にしてみてもいいと思います。
私が、自我優位だった時は頭の中に意識があるような状態でしたが、今は、常に胸の位置に意識があります。
常に、ズレがないかチェックをしています。
なんでもそうですが、最初のうちは慣れないだけで、やっていくうちに慣れてきます。
慣れてきたら、無意識にやっていますから、大変だとか難しいとか、思わなくなります。
乗れなかった自転車が乗れるようになって、手放ししても乗れるように、
初めて車にエンジンをかけた時、ドキドキしたのに、今は夕食の献立を考えながら運転できるように、
この体のしくみは、続けていけば、慣れていくようになっています。
この自分の持つ感覚を、解読することができるようになることが、霊性進化の土台となっていきます。