仕事の関係上、自閉スペクトラム症について勉強することがありました。

 

『対人関係が苦手で、強いこだわりといった特徴をもつ発達障害の一つ』と、書かれていました。

 

 

 

この障害を持たれた子どもが、急に走り出してしまった場合、当然あぶないと思いますから、

 

「止まりなさい!」

 

と言ってしまいますが、

 

走っている最中に、「止まりなさい」と言われると、走っていることが「止まれ」だと思い込んでしまうようなのです。

 

 

 

ですからそういう場合、どうするかというと、

 

 

こちらも一生懸命に走って、その子に追いついて、優しく抱きしめて、止まってから「止まれ」と伝えるそうです。

 

何度かその経験をすると、走り出しても、優しく「止まれ」と言えば、止まるようになるそうなのです。

 

 

 

 

コロナの感染対策でマスクをつけるようになりましたが、就労継続支援B型の事業所を利用されている利用者の方が、マスクをしてくれなくて困ると職員の方が言っていましたが、もしかしたら、マスクをつけていない状況の時に、「マスクを付けなさい。」と言っていたのかもしれないと思いました。

 

 

 

 

今回、お話ししたいのは、行動と言葉の一致のことです。

 

 

 

以前の私は、好きでもないのに好きだと言ったり、やりたくもないのに、メンツや周りの様子をうかがって行動に移すことがありました。

 

 

それは私にとって、社会に溶け込む方法だったのです。

 

 

 

でも自我を手放し続けていったことで、

 

自分の想いと、言葉と行動が一致するようになっていきました。

 

別の言い方をすれば、

 

意識の世界の私と、この三次元世界にいる肉体を持った私の思考と行動が一致するようになっていきました。

 

 

 

 

抵抗のないこの世界は、とても落ち着きます。

 

 

 

以前の私は、意識の世界の私の想いと、この思考と行動は、バラバラだったわけです。

 

そもそも、意識の世界の私の存在など知らなかったこともありますが、陰陽一対の世界で自我の炙り出しをバンバン体験していたわけですが、そんなしくみのことも全く知らなかったのですから、仕方ないといえば、そうなります。

 

 

 

行動と言葉が一致するようになると、とても楽に生きることができます。

 

 

ただ、自我優位だと、

 

「嫌いな人には、嫌いだって言うことなのね。」とか、

 

「やりたくないことは、やりたくないって言えばいいのね。」となりがちですが、

 

その位置にいる限り、楽に生きることはできないのです。

 

 

 

 

 

私はまだ、自分が創造しているということを、心底掴んでいません。

 

でも、この行動と言葉を一致させるということが、この創造にとても重要な役割をしているように思えます。