思考より、この自分にしかわからない感覚を信じれるようになるには、随分時間を要しました。
でも、まだ完全にとは言えない位置にいます。
幼稚園に小学校、中学、高校・・・と、いつも頭を使うように言われ続けました。
暗記するのも、計算するのも、本を読むのも、いつも頭を使っていました。
それはそれでいいんです。
なにせ思考は、そういう役割があるのですから。
思考を、どう使うのかをイメージでいうと、
地球という星で暮らすには、どんなことを学ばないといけないのか。
ということに遣います。
「おぉ~、これがコマというもので、こういうふうに使って遊ぶのかぁ~」とか、
「赤信号は止まれで、青信号で渡れるのか」とか、
「法律というものがあって、その約束を破ると、罰せられるのか。」
「自分の思っていることを伝えるためには、言葉を覚えたり、文字を覚えたりする必要があるのかぁ~」等々
ざっくりと言えば、この地球で安心して暮らすために知っておかないといけないことを学んでくれる役割が、思考にはあります。
そしてもう一つ大切な役割が思考にはあります。
人間という肉体を持った私と、意識の世界にいる私とをつなぐ為に、感じる感覚を言葉に変換してくれる役割です。
胸のあたりが、モヤモヤしていると感じるのは、
モヤモヤという言葉が先にあるのではなく、自分の感じている感覚を、言葉に変換してくれていて、意識の世界にいる私が、肉体の私にコンタクトを取ろうとしているタイミングなわけです。
そんなことが起こっているなんて思ってもいませんでしたから、モヤモヤしていても、
「なんか、気分が悪いなぁ」
と思うくらいでしたし、
イライラを感じても、
「いつものことだし、何か言えばややこしくなるから、我慢しておこう。」
と思い、時間がイライラを無かったことにしてくれることを待っていました。
だから、自分の感じる感覚を、思考より優位にするなんて、
清水の舞台から飛び降りる状態でしたよ。
そんな私がどうやって、感覚優位にしていったのか。
それは、本当に些細な日常にありました。
誰かにLINEする前に、自分の胸に感じる感覚を読み取って、LINEの返事が返ってきた時の感覚をまた読み取る。
「こういう感覚でLINEを送ると、同じ感覚で返って来るぞ」
「LINEする前に、この感覚をフラットにすると、同じ感覚で返ってくるぞ」
とか。
「これをやらなかった時と、これをやった時の感覚の違いはどんなだ?」
みたいに、
今まで、直ぐに頭で考えていましたが、胸に感じる感覚を読み取ってから行動するようにしていきました。
直ぐに頭で考えてしまうクセは、なかなか抜けませんでしたが、感覚を優位にし続けて行くと、思考の特技である、『習慣にすること』ができるようになっていきました。
だから、この文章を書く時も、思考と感覚を同時に遣って、ズレがないようにしています。
ズレとは、感覚は不安なのに、思考で言い聞かせて、不安じゃないように文章を書く。みたいな感じですかね。
まだ時折、ズレているのに無視してしまうことがあります。
(って、わかっているなら、やれや!)