鏡の法則が、

 

私の意識の中に存在しています。

 

 

 

外に観える世界は、ただ、そこに在るだけなのに、

 

私の意識の中にあるフィルターが、見事に私の意識を鏡に映し出してくれています。

 

 

 

 

最初の頃は、見えるままを捉えて、

 

「あぁ、私も同じことをしているのか。」

 

と、納得して終わる程度でしたけど、

 

 

いつしか、見える世界の奥にある、見えない意識に意識を向けるようになっていきました。

 

 

 

鏡に映っている世界が、いったい私に何を教えてくれようとしているのかを、頭ではなく、胸に感じる感覚に意識を向けて、この感覚が、どんな感覚なのかを思考に翻訳してもらっていました。

 

 

 

 

頭の中のモヤモヤじゃなく、胸に感じるモヤモヤに意識を向けてました。

 

 

例えば、

 

 

 

胸に感じるモヤモヤが、イメージで言えばこんな感じだったら、

 

「冷たい感じだなぁ。なんかスッキリしないなぁ。何を教えてくれてるんだろう。」

 

と思っていると、

 

 

そのモヤモヤを感じさせてくれた人との出来事と、最近起こった出来事が繋がって、

 

「えびっくり!? そういうこと!?

 

と、まさしく、『腑に落ちる』という感覚を味わい、その後も、ドキドキするような、奇跡が起こったような、

 

え、え、え、え~~~~っ滝汗

 

と、興奮と喜びと、驚きと奇跡が、ごちゃまぜに混ざったような感動を味わう経験をしたことで、少しづつ、コツを掴んでいったように思います。

 

 

 

 

 

私の分相応の霊性進化を体験して思うのは、

 

霊性進化するとともに、人として生きる純度が上がっていくことや、

 

自我の世界にいた時の、思い込みによって出来上がっていた、曖昧な定義が、段々とシンプルになりながらも、的を得た定義に変更されていくことや、

 

コピペのように毎日同じ生活をしていたと思っていた世界が、こんなにも豊かで、こんなにも変化に富んでるモノで、一瞬たりとも同じことなどないのだと、飽きることがない世界だったと知り、

 

自分を信頼できたことで、私がどうにかせずとも、成るように成ると委ねることができるようになっていきました。

 

 

 

自我の世界にいた時のような、火傷をするほどの炙り出しはなくなりましたが、気づかないうちに外側に意識を向けだすと、バランスがとても悪くなり、とんでもない違和感を感じるようになりました。

 

 

 

鏡の法則は、絶対にこの世になくてはならなかった法則。

 

ただ、今になって思うのは、

 

この世の法則は、外の世界にあるわけではなく、私の意識の中に存在している法則のように思います。