私が観る外の世界は、鏡となって、私の無意識の世界を観せてくれます。

 

その鏡が観せてくれているのは、

 

私自身の自己否定や執着、固定観念や無価値観等々ではありますが、それらは意識の自分と、肉体(思考)の自分との関係性も教えてくれます。

 

 

 

その関係性を教えてくれることで、調律する機会を得、意識の自分と、肉体(思考)の自分とが一致するようにもっていきます。

 

そうやって、調律していても、なかなか手放せないモノが『執着=依存』のように思います。

 

 

 

 

 

 

人間意識は、外の世界を観て、自分の位置を確認します。

 

認められたことで、自分の存在価値を感じたり、

 

拒否されることで、自己否定をしたり、執着したりします。

 

 

 

 

この世は鏡の世界であると、完全に、100%、どんなことが起ころうと、その位置からズレないようになるには、自分の執着を認めることができた時かもしれないと思うに至りました。

 

 

執着は、依存でもあると思います。

 

 

 

 

気づけば、手放す。

 

一粒でも、執着や依存の感覚が現れたら、手放していきます。

 

 

 

私は、意識の自分と完全な信頼関係を持ちたいと思っています。

 

意識の自分は、いつでもウエルカム状態ですが、この肉体(思考)の私が、人間意識を完全に手放せずにいます。

 

使い慣れたモノを、なかなか手放せないのは当たり前です。

 

 

 

それでも私は、自立したい。

 

 

意識の自分と、肉体(思考)の自分が、繋がっている時の感覚は、本当に心地がいい。

 

 

完全に内側の世界に意識を向けることができるようになったら、どんな世界が観えてくるのだろう。

 

是非、体験したいと思います。