この世には、しくみがあります。

 

執着すれば、執着するほど、その壁は大きく立ちはだかり、自分が望むことを手に入れることができない。

 

というしくみです。

 

 

 

 

そもそも、この世のしくみには、ジャッジが存在せず、フラットの状態です。

 

だから私たちは、自由に自分の信念を持つことができます。

 

Aさんにとっては、それが正しいと、当たり前だと思うことが、Bさんにとっては非常識であることなど、当たり前のようにあります。

 

 

 

だから、「相手のことを認めなさい。」

 

というお話しではなく、「自分自身のことを認めなさい。」というお話し。

 

 

 

 

 

心が苦しくなる時、

 

望む結果を得ようと頑張っているのに、思うように進まない時、

 

何をやっても上手くいかない時、

 

 

感覚で言えば、

 

 

 

 

大きな壁が、前に立ちはだかっていると感じる時、

 

そこには、自分が執着している何かがあります。

 

 

 

 

実は、執着の壁の向こうには、自分の望む世界があるのです。

 

でも、その執着の壁が、前に立ちはだかっているために、向こう側にある世界が観えないだけなんです。

 

 

 

それも、その執着の壁に、あまりにも近づきすぎている為に、その壁全体を観ることができない状態です。

 

こういう時、

 

 

 

 

無理に壁をぶち破ろうとしても、無駄です。

 

確かに、一時的には上手くいくかもしれませんが、再びその壁は、自分の目の前に立ちはだかってきます。

 

自分の執着に気づかない限り、その壁は消えないようになっているしくみがあります。

 

 

 

 

じゃあ、どうすればいいか。

 

簡単なことなんです。

 

一旦、その場から離れればいいんです。

 

 

 

 

離れるというのは、

 

「その場所から離れる。」というのではありません。

 

 

 

執着している自分の意識から離れることです。

 

感覚で言うと、自分を楽にしてあげる。という感じです。

 

 

 

言葉で言えば、

 

「成るようにしか成らないんだから、もうお任せします。」

 

と、完全に主導権を、譲り渡すような言葉を使います。

 

 

この言葉を使いながら、何かを期待しているとバレバレなので、一向に手放すことはできません。

 

本当に、バレバレなんです。

 

どんな言葉を使おうと、思考で何かを誤魔化そうとしても、この宇宙レベルでバレバレですから。

 

 

 

 

でも、心底、お任せすることができたら、執着の壁は、壊すことなく、

 

 

 

消えてしまいます。

 

消えてしまいますから、目の前に望む世界が観えるようになってしまいます。

 

 

 

 

 

もともと、望むことは叶うようになっていて、ただ、執着の壁が、それを観えなくしているだけだったんです。

 

 

 

 

なんだか、この世のしくみって、

 

 

 

「もっと、甘えていいんだよ。」 と、

 

「もっと、楽にすればいいんだよ。」 と、言ってくれているように思います。