『地に足が着いた生き方』とは、どういう生き方なんだろう。
経済的に安定してること?
悩みがないこと?
後ろ指さされないような生活をしていること?
自我の世界にいた私なら、そんな答えを言っていたかもしれません。
自我の世界と、スピリット意識の世界の違いの一つに、定義が明確にできるかどうかがあります。
初詣に行って、お願いをする時、「今年も幸せでありますように」と言っていましたが、そもそも私の幸せの定義が明確ではないため、神様が私の望みを叶えてあげようと思っても、何をどうしてあげればいいのかわからない状態であったわけです。
今の私の幸せの定義は、
『満足すること』
です。
何を使っても、どんな方法であっても、どんなたわいもないことであっても、満足できた私は、幸福感に包まれます。
一つの引き出しの中がゴチャゴチャになっているのが気になって、
「この引き出しの中を整理しよう。」
と決めて、それを実行し、整理できた状態になった時、私は満足感という幸福感を感じます。
「今日は、カレーを作ろう。」
と決めて、それを実行し、カレーを食べ、あとかたづけも終わった時、私は満足感という幸福感を感じます。
『地に足を着けた生き方』 とは、この状態が持続している時だと思っています。
もう少し詳しく言えば、
意識の私が、
ふと、「この引き出しを整理したいな。」 と、思ったことを
肉体の私が実行し、完結していく。
そうすると、とてもスッキリとした、幸福感を感じます。
『地に足を着けた生き方』は、毎瞬毎瞬を、意識的に選択をし、それを実行し完結していくことで、感じることができるようになっていきました。
日々の生活が、ただ目の前を流れていくのを、時間に追われるように生きていた頃とは、全く違う感覚です。
今のこの選択が、どちらの方向へタイムラインが創造されていくのかは、この世のしくみの理がわかれば、意識して選択することができるようになります。
自分で舵をとることができるようになるのです。
『地に足を着けた生き方』をするために、◯○がなければならないという条件は、どこにもなかったのです。
全ては、自分で生み出すことができるのです。
スポーツでも、勉強でも、仕事でも、家事でも、とにかく何でも、誰かに仕掛けられるより、自分から仕掛けた方が、ずっと面白いし楽しい。
与えられるのを待っているより、自分から生み出す方が、ずっと面白いし、楽しい。
『地に足を着けた生き方』は、受動的ではなく、能動的に生きた時に感じられるモノなのだという検証結果を得ることができました。