「アイロンかけた方がいいよね~。だけど、めんどくさいなぁ」

 

こんなことは、よくある話しです。

 

 

 

でも、こんなことが、自分の人生を創造する上で、どんなに大切なのかを知ったのは、つい最近のことです。

 

 

 

 

 

洗濯をして、しわだらけになった服に、アイロンをかける、かけないは、私の自由です。

 

この自由な私の選択が、私の生き方を決めていくことに繋がっていたんです。

 

 

 

アイロンをかけずに、しわだらけの服を着る選択をした私の心の世界を観てみましょう。

 

 

アイロンをかける。右矢印 めんどくさい=アイロンをかけて綺麗になった服を、私に着せてあげようとしない 右矢印 私は、不満足。

 

しわだらけの服を着る 右矢印 周りの人の目が気になる。= 私は、後悔する。

 

しわだらけの服を着る 右矢印 誰も見てなんかいないわ。= 私は、自分を誤魔化す。

 

しわだらけの服を着る 右矢印 どうだっていいのよ。 = 私は、自分を認めることができない。

 

 

 

 

次に、アイロンをかけた服を着るを選択した私の心の世界を観てみましょう。

 

 

アイロンをかける。右矢印 私の願いを叶えてくれた。右矢印 私は、満足。

 

アイロンをかけた服を着る 右矢印 周りの人が気にならない。 = 私は自信がある。

 

アイロンをかけた服を着る 右矢印 綺麗な服を着ている自分。 = 誤魔化しはない。

 

アイロンをかけた服を着る 右矢印 服を大切にする。 = 自他共に大切にする。

 

 

 

 

 

アイロンをかけた、かけないで、そんなに意味がある?

 

あったんです。

 

私が気づいてないだけだったんです。

 

 

 

今は、アイロンを例えに使いましたから、アイロンだけのことだと思うかもしれませんが、とんでもないんです。

 

他のことも、無意識にこうやって選択しています。

 

 

 

 

 

確かに、得意、不得意があり、

 

「料理は丁寧にするけど、掃除は嫌いだわ。」

 

そういう人もいます。

 

アイロンをかけるのは苦手だわ。

 

そういう人もいます。

 

 

 

 

 

この世には、しくみがあります。

 

この世の流れがあります。

 

 

この世の流れに沿うということは、あるがままの自分の意に沿うことなので、抵抗することもなく楽に生きられることに繋がっていきます。

 

その生き方は、無意識に呼吸をしているような感覚です。

 

 

 

この世のしくみは、私がアイロンがけが上手か下手かなどを観ているわけではなく、どんな想いを持って、その行動を起こしているかという意識とエネルギーに反応しています。

 

 

 

本当は、アイロンをかけた方が満足することを知っているのに、

 

アイロンをかけないことで、

不満足で、いつも後悔し、自分を誤魔化しながら生き、自分を認めることができないタイムラインを選び、その世界を外に観るコトに繋がっていきます。

 

 

 

 

 

 

そしてもう一つ、この世には、継続することで願いが叶っていくしくみがあります。

 

 

 

 

私たちは、Aという望みがあると、Aのことは真剣にやろうとしますが、BやCという日常のことはどうでもいいと思いがちです。

 

Aの真剣度を100とした時、Bの真剣度は20で、Cの真剣度は10だとします。

 

100の真剣度を3日間持続できたら、Aの望みが叶うとすると、

 

金曜日にAを使って100にしたのに、土曜日はBによって20にダウンし、日曜日は10まで落ちてしまったとなると、また100からやり直しとなります。

 

 

 

確かに、Aという望みを叶える方はたくさんみえます。

 

ただ、霊性進化を目的に人間世界で生きているので、Aだけは成績優秀で、BやCはどうでもいいという生き方は、目的に反していることになります。

 

 

 

じゃあ、何もかも真剣に生きなければならず、そんなしんどいことを続けるのかと思うかもしれませんが、人間意識での真剣と、スピリット意識での真剣の受け止め方は違います。

 

 

人間意識でいう真剣は、いつも気を張っていて、常に一生懸命で手を抜けないようなイメージがあるかもしれませんが、スピリット意識での真剣は、大きく言えば、地に足がついている状態で、常に意識を自分に向けているということだと、今の私は思っています。

 

進化していくと、定義も変わっていくので、これが今の私の分相応です。

 

 

 

 

 

仕事だけが特別なモノで、あの人と会う時だけが特別なコトではなく、全てが私の日常です。

 

私の意識のどこを切り取っても、

 

 

 

金太郎飴のように、意識の向ける方向が同じであることが、この世の理に沿うコトだと、その生き方を体験したいから、この世に生まれてきたんだと、そう思います。