「一歩外に出れば、この世は鏡の世界です。」

 

それはわかっているけれど、その鏡をどう使えばいいのかわからない。

 

 

 

 

最初の頃は、観たままの逆だと思っていました。

 

 

例えば、

 

職場で、掃除をしない人を観て腹が立ったら、

 

「私は、掃除をしなければならないと信念を持ってるんだ。これを手放そう。」

 

と、行動で観せられた時は、その逆の信念を持っているんだと思っていました。

 

 

 

言葉で

 

「あなた、仕事さぼっているでしょう?」

 

と、言われて腹が立ったら、

 

そのままストレートに受け止めて、「私は、さぼりたいと思ってるんだ。これを手放そう。」

 

そんなふうに鏡を使っていました。

 

 

 

 

この頃の私の、この世のしくみの理解度は、超超ド初級で、鏡の使い方もこんなふうに捉えていました。

 

それでも、心は軽くなっていきました。

 

自分に意識を向けることが、大切な時期だったんだろうと思います。

 

 

 

 

そんな超超ド初級ながらも、鏡の使い方を繰り返すうちに、少しづつ気づいていくことがありました。

 

 

 

最初は、頭で考えて鏡を使っていましたが、そのうち法則があることに気づきます。

 

1週間から2週間くらいの間で、自分にとってイヤだなぁと思うこととか、腹が立ったりしたことを思い出してみると、共通点があることに気づいていきました。

 

 

〇月〇日は、家でこんな不愉快なことが起こった。

〇月〇日は、職場で上司にこんなことを言われた。

〇月〇日は、知人がこんなことを言ってきた。

 

と、それぞれ人も、設定条件も違うのですが、共通しているのが「プライド」だったり、「我慢」だったりしました。

 

「そう言えば、このプライドは、どこかで感じた記憶があるぞ。」とか

「そう言えば、この我慢は、どこかで感じた記憶があるぞ。」と、

 

過去の記憶を探りにいきました。

 

その記憶に辿り着けると心が軽くなったので、鏡は過去の記憶にくっついた感情を手放していくためにあるのだと思いました。

 

 

 

それも繰り返していくと、過去の記憶と照らし合わすことができない出来事が起こるようになっていきました。

 

 

 

この頃から、鏡の使い方が変わり始めました。

 

見えたまま、聞こえたままを観るのではなく、その奥にあるモノに気づかないと、手放せないと気づいていきました。

 

 

 

この頃が一番難しかったというか、どうしたらいいのかわからない時期だったように思います。

 

どうやってそこをクリアしてきたのか、もう思い出せませんが、ちゃんとガイドやハイヤーマインドがヒントをくれてました。

 

「ハッびっくり」と気づかせてくれました。

 

 

 

この頃はもう、頭を使わず、胸のハートに感覚に意識を向けていましたから、とにかくモヤモヤや不快感がなくなるまで、

 

「こういうことかな?いや、まだモヤモヤが消えないぞ。これか?」 等々、試行錯誤で、クリアにしていきました。

 

 

 

 

今は、自分の感じる感覚と外の世界に観えたモノを照らし合わせて観ることができるようになったので、直ぐに課題を探し、答えをみつけることができるようになってきました。

 

 

この位置にくるまでに、私が使っていた方法をご紹介します。

 

 

 

課題の投下は、感情が現れたことでわかります。

 

腹が立って、説得したいと思ったり、言い返したいと思ったり、逆に相手から凄く傷つけられたと思ったりすることで、

 

「あ、課題だ。」

 

とわかります。

 

 

 

私が霊性進化するうえで、手放すタイミングの自我があることを教えてくれています。

 

内観しますが、そもそも私は自分のコトは観えないし、わかっていないわけです。

 

内観しても、都合のいいような内観をすることだってあり得ます。

 

で、気づいたんです。

 

 

 

この世が鏡の世界なら、私が相手に思ったコトはそのまま私のことだと。

 

だから私は、腹を立てさせてくれた相手のことを、どう思っているのかを徹底的に書いていきました。

 

この時気をつけていたのが、

 

私が、相手をどう思っているのかを徹底的に書くようにし、

 

相手が、私のことをどう思っているかとか、きっとこんなふうに考えているのだろうという、わかりもしない相手の気持ちは一切書かないようにしたんです。

 

 

ずるい人だ。

八方美人だ。

いけ好かないヤツだ。等々

 

誰かに見られたら、公開処刑滝汗されそうなくらい、思いっきり書きました。

 

もう書くことはないというくらい書いたら、自分に質問します。

 

「一言で言えば、何を言いたいの?」

 

「・・・誤魔化していることに腹が立つ。」

 

 

 

ここでわかるわけです。

 

私が私を誤魔化していたんだと言うことが。

 

 

 

イヤなことは観ないようにしていた自分がいたり、向き合うことから意識を反らしたりという自分がいることに気づいたら、

 

イヤなことを観るようにし、向き合うべきこととは向き合うようにしました。

 

 

 

イヤなことも、向き合うことも、毎日の日常にありました。

 

母が、あれをして、これをしてと言うことを、「後でする」と逃げず、何をおいても直ぐに行動に移し、母を満足させる。

 

母だけでなく、夫にも娘にも、他の人にも、同じようにしていきました。

 

 

 

ただ、観たまましか捉えられなかった、超超ド初級の私が、鏡を観て、ここまで広げることができるようになっていきました。

 

と同時に、自分を知る為に、誰かが鏡になってくれたことに感謝できるようになっていきました。

 

 

 

 

鏡に映る、私を満足させる。

 

まだ、掴み損ねる時もありますが、完全にマスターしたいと思っています。