私たちは、小さい頃から頭を使い続けてきました。

 

言葉もわからない赤ちゃんの時は、心地悪い感覚になると泣いたり、何だかわからないけど、楽しい、嬉しいと思うような感覚を感じたら笑っていたんだろうと思います。

 

 

 

そんな赤ちゃんもやがて、周りの人間たちが何かを言っていることが、物とつながっていることに気づきます。

 

 

 

「コップを触っちゃだめよ!」

 

そんな言葉を何度か聞いていくうちに、「これは、コップというのかぁ。」

 

 

 

 

「ぼくのことは、こうちゃんと、みんながよんでくる。」

「だっこしてくれてるこの人は、みんながおかあさんとよんでる。」

 

「ぼくは、こうちゃんで、このひとは、おかあさん」

 

 

 

自分と、自分以外の存在の始まり。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あいうえおって書いてみて。」

 

書けると、おかあさんが喜んでくれるから書いてみた。

 

 

「じゃあ次は、足し算をしてみようか。」

 

 

 

 

わからなくなると、お母さんが言う。お父さんも言う。

 

「頭を使いなさい!」

 

 

 

 

そんな小さい頃から、ず~っと頭を使ってきたし、頭で考えるのが当たり前だし、頭以外いったいどこで考えるのよ。

 

そう言いたい。

 

 

 

 

もちろん、人間なんですから頭は使いますし、そういう構造になっています。

 

でも、それと同時に感覚も使っているはずです。

 

 

 

 

今日は、そばにしようか、ラーメンにしようか。

 

かけそばにしようか、ざるそばにしようか。

 

 

 

栄養のバランスを考えて選択するのでなければ、どちらを食べるかは、感覚で選んでいるはずです。

 

 

自分の感じた感覚を、『ざるそば』と翻訳した結果、

 

「今日は、ざるそばを食べよう。」

 

となり、ざるそばを食べた。

 

 

 

 

 

今日は、自分の感じる感覚を優位にし、頭を使うのは必要な時だけにするというお話し。

 

 

 

 

暴飲暴食を続けると、肝臓や膵臓を始め、血管や自律神経、他の臓器にまで影響を及ぼし体調不良を起こし始めます。

 

血液検査などの結果、薬を飲むなどの治療が始まり、臓器の修復作業が始まります。

 

 

 

脳も、胃や肝臓と同じように、ひとつの臓器です。

 

使いすぎると、頭痛や集中力が落ちたり、眠れなくなったりなどの症状が現れて、休むタイミングを教えてくれます。

 

でも不思議なことに、頭痛や不眠は、ストレスだろうと言われても、使い過ぎてるとは言われません。

 

まるで脳だけは、他の臓器とは違う別物で、どんなに使っても構わないような使い方をしているように思います。

 

 

 

 

脳は、計算する時とか、何かを覚える時とか、文字を読むときとかに使って、あとは休ませてあげた方がいいと思います。

 

 

 

何も考えていなくても散歩はできるし、家に帰って来ることはできます。

 

逆に、散歩をしたいと思うのは、ほわぁ~っとぼんやりしたい、気持ちを楽にしたい、何も考えなくていい時間を楽しみたいという時にしますし、散歩をしている時の方が、アイデアがよく浮かぶという人もいます。

 

 

 

以前の私は、めちゃくちゃ頭で考える人でした。

 

体調は、どこも悪くないのに、集中力がなくなったり、しんどくなったり、意欲がなくなったり・・・

 

今思えば、頭を使い過ぎていたんですね。

 

 

 

 

じゃあ、今はどうしてるかというと、頭の方へ意識を向けるのを止めて、胸の感覚に意識を向けるようにしているので、疲れなくなってしまいました。

 

 

車の運転もそうですけど、仕事を含め、全ての日常生活は、ほとんど考えずにできます。

 

今、こうやってブログを書いていますが、頭で考えて書いているというよりは、思うまま書いているので疲れません。

浮かんだことを、文章にしているだけなので、疲れないんです。

 

 

 

胸に感じる感覚を、脳を使って言葉に翻訳してもらって読み解く。

 

 

 

モヤモヤ感じるのを、ただモヤモヤ感じているなと放置せず、

 

「このモヤモヤは、何を言ってる?」

 

「不安」

 

 

「何が不安なんだ?」

 

「仕事のこと」

 

 

「仕事の何が不安なんだ?」

 

「・・・あぁ、仕事が不安なんじゃなく、上司に認められないことが不安だったんだ。」

 

 

「何を認められたい?」

 

「仕事のことじゃなく、私のこと。」

 

 

「認められるためには、何をすればいい?」

 

「自分の今やってる仕事を、精一杯やってみる。」

 

 

仕事に意識が向いた途端、この不安は消え去ったなとわかります。

 

 

 

 

私は、この自分との会話を、頭に意識を置かず、胸に感じる感覚に意識を向け、その感覚を言葉に変換していきます。

 

この時に、脳を使わせてもらいます。

 

 

 

 

脳に蓄積された、

 

〇〇しなければならない。

 

〇〇が常識。

 

こうすれば、ああなるから、止めておいた方がいい。

 

と、自分の感覚より、知識を優先することは、自分を信頼していないことに繋がっていきます。

 

 

 

 

自分が体験してきたことや知識を優先して、自分の感覚を無視するのではなく、

 

自分の感覚に、体験や知識を融合させていく。

 

 

 

 

ただ、

 

「自分の感覚は、したくないって言ってる。」

 

と、それが自分の感覚だと勘違いして、その感覚を優先してしまうのは、学びへとは繋がりません。

 

自分の感覚が、したくないって言ってると翻訳したなら、

 

「何故、したくないんだ?」

 

と、質問していき、胸に感じる感覚がフラットになる、違和感がなくなる、スッキリするまで聴いていきます。

 

フラットになると、次の行動がわかりますし、その行動をしたいと思うので、実行します。

 

 

 

 

 

最初の頃は、直ぐに思考に傾きましたが、今は、思考に傾くと違和感を感じるので、元に戻すことができるようになりました。

 

何年もやり続けることができたのは、思考を使うより感覚を使う方が、心地いいからだと思います。