「山!」 「川!」
忍者の世界で、相手が自分の味方かどうかを確認するために使う合言葉があったようです。
こんなふうに、私は、『陰』と『陽』を持ち合わせています。
どちらも、私です。
『陰』がなければ、『陽』は生まれなかったからです。
『陰』と『陽』というのは、根暗な私と明るい私という意味ではなく、
『憎しみ』 の裏には、『愛』 があったり、
『依存』 の裏には、『自立』 があるように、
自分が正しいと信じたことの裏には、『陰』と『陽』が存在しています。
小さい頃に、いつも親に殴られ続けると、その体験はイヤだと思います。
小さいながらにも、叩かれないようにするには、どうしたらいいんだろうか?と考えます。
「自分の考えより親の意見を優先して、親の言うことを聞いていれば叩かれないですむのかなぁ。」
「できるだけ顔を合わさないようにすれば叩かれずにすむから、外にいる時間を長くしよう。」
「親が喜ぶようなことをすれば、褒めてもらえて、叩かれずにすむのかなぁ」
小さい頃は、どうしたって保護される世界にいますから、自分を守る為に精一杯です。
でも、段々と体も大きくなり力も付いてくると、
「叩かれる前に叩いてやれば、自分が痛い目にあわずにすむのか。」
と、知恵がつきだします。
大人になって家庭を持つようになり、子どもができたとき、
「絶対に、子どもを叩くことはしたくない。」
と、自分の辛かった体験から、幸せになりたいと思います。
でも、そもそも、子どもは言うことをきかない。
叩かれることで学んできた自分は、その方法しか知りません。
結局、叩いて、子どもに言うことをきかせようとしてしまい、自分が親と同じことをしていることを責める。でも、またやってしまう。
自我優位の世界では、
『陰』の世界が『陽』の世界に変わり、『陽』の世界が『陰』に変わります。
「幸せはいつまでも続かない。」とか、
「不幸な出来事があっても、また幸せになれるさ。」と、言われるのは、そのためです。
叩かれてばかりいれば、叩かれたくないと思うのは当然です。
叩かれているのは不幸で、叩かれないことは幸せだと思うのは当然です。
自分の子どもには、叩くようなことはしたくないと思うのも当然です。
それでも叩いてしまった時に、自分を責めるのも当然です。
ただ、この世にはしくみがあります。
それも、人間仕様ではなく、スピリット仕様のしくみです。
子どもであろうと、高齢であろうと、男性であろうが、女性であろうが、地位も名誉も、財産のあるなし関係なく、外に一歩出たら、周りは全てが鏡となってしまいます。
鏡となってくれた相手が、
「いったい、何を私に教えようとしてくれているのか?」
と、その答えに気づかない限り、この『自我』のループからは脱出できない仕組みになっています。
大きなくくりで言えば、
「承認欲求」
「依存」
「存在価値」
「執着」
「保身」等々、ですが、舞台設定の詳細は個人によって違います。
スピリットとしての自分が持っていなかったモノを手放していくために、いつも
なぞなぞが出題されています。
答がわかると、
嘘のように、今までのこだわりがなくなり、フラットの状態になります。
フラットの状態になったかどうかを確認するには、さっきまで腹が立っていたことや、憎しみを持っていた相手のことを思い出してみます。
全くなんの感情も沸いてこなければ、フラットになり、『陰』が『陽』に還って一対になった状態です。
思い出して同じように腹が立てば、なぞなぞの答えは違っているといえます。
それはただ単に、
自分の感情を隠しただけに過ぎませんから、また何かの出来事が起こると、再び現れます。
感情を使って、「山!」 と言った意識の私が、肉体(思考)の私が「川!」と答えてくれるのを待っている。
最初は、感情を使ってこのなぞなぞを投下したことを教えてきます。
次は、感情も使いますが、自分がやろうとしていることが上手くいかなかったりという、歯車が回らない状態を観せて、なぞなぞを投下してきます。
その次は、感情や歯車ではなく、逆に何もない中から、私がなぞなぞを探さないといけないような・・・ ちょうど、
白い粉の中から、白い飴を探すような、そんな感覚があります。
360度、観察するもしないのも、私次第で、誰からも強要もされていないけれど、意識の私は、このなぞなぞを解きたくて仕方がない。
今の私は、そんな場所にいるように思います。
今の私の分相応でのわかっているしくみについてですが、
大きくみれば、目の前に投下されたなぞなぞを解いていく。
解いていくことで、
この世のしくみを軸に創られた階段を、一段々昇っていくような感じです。
『陰』を嫌う。『陽』だけを望む。
偏った意識は、この軸から離れていってしまいます。
『陰』と『陽』が一対揃うことは、自分の全てを認めることになり、自分自身と闘わなくなります。
軽くなることで、この階段を昇っていくことができるんだと思います。