この世は、鏡の世界。
今、意識している私と真逆の私が同時に存在しています。
これは、SFの話しではなくて、意識のお話し。
この三次元世界は、陰陽一対の世界です。
生まれて生きてきた人生の中で、自分が好む体験と、自分が好まない体験をしてきています。
好む体験は、また体験したいと思いますが、好まない体験は、二度としたくないと思います。
例えば、
テストで100点を取ると、親からご褒美がもらえるという体験を、好む体験だと認識すると、勉強するのは大変だけど、それさえ頑張ればご褒美がもらえると、頑張ります。
小学生の頃は、それでよかったかもしれませんが、中学、高校となって勉強の内容が難しくなってくると、段々100点を取ることが難しくなってきます。
100点=自分の評価になっていき、点数=自分の存在価値となっていき、テストそのものの持つ意味など考えようともしません。
大人になって会社で働くようになっても、この無意識の習性は受け継がれていきます。
持ってしまった習性は、20歳になったから無くなるモノではないし、年齢というのはこの世界での肉体が持つルールのようなモノで、意識とは全く関係がありません。
営業成績がトップでないと気が済まない。
トップになったのだからと、ご褒美をもらわないと気が済まない。
それが『陽の私』だとしたら、背中合わせに必ず『陰の私』が存在しています。
本当は、成績など気にせずに、自分のやりたい方法で営業をしてみたい。
でも、その方法で営業をすると、トップにはなれない。
本当は、ご褒美などいらない。
「ご苦労さん」と、笑顔で肩を叩いてくれたらそれだけでいい。
自我の世界は、
忍者の隠し扉のカラクリのように、『陰』と『陽』が場面設定を変え、人を変え品を変えて現れているだけで、全く同じ場所をクルクルと回っているのです。
どこにも進んでもいないし、昇ってもいないのです。
今、この世界で好まないことが観えたとしたら、必ず好む世界が背中合わせに存在しています。
この隠し扉のカラクリから脱出するには、誤魔化しのない、嘘偽りのない自分をみつけ、満足させてあげる方法をみつけ行動に移すことです。
気づいた段階で、隠し扉の存在は無くなりますし、腑に落ちれば、行動に移さずにはいられなくなります。
タイムラインが変更されます。
では、
好む世界が観えていたら、好まない世界を探すのか?ですが、好む世界が観えていたら、思いっきり体験すればいいと思います。
手放す必要があれば、絶妙なタイミングで、隠し扉が現れるようになっているのですから。
自我を創造するには、『自分が正しい。』 と、思い込む必要がありました。
『自分が正しい』と思うのが『陽』だとすると、『陰』の私は『自身のない私』
『自分が正しい』と思っていることを、相手が正しいと言ってくれないと、
否定されている。
信頼されていない。
拒絶されている。
喪失感。
無価値観。等々の感情が生まれます。
この感情は、味わいたくない感情です。
だから、いつまでも我を張って、『私が正しい』と思い続けることになるのかと。
これらの感情は、まとめれば承認欲求です。
そして、何度も言いますが、この世は鏡の世界です。
「否定されている。」のではなく、自分が自分を否定している。
「信頼されていない。」のではなく、自分が自分を信頼していない。
「拒絶されている。」のではなく、自分が自分を拒絶している。
「喪失感を味わう。」ではなく、喪失感を自分に味合わせている。
「無価値観を感じる。」のではなく、無価値観を自分に感じさせている。
これらのことを、自分に感じさせなくすることができれば、『自分が正しい』と我を張る必要はなくなってしまう。
あとは、『自分が正しい』と我を張った自分に気づくこと。
ここが難関だけど、
掴みに行くぞ