私が、嘘をついているかどうかなんて、誰にもわからない。

 

私が、心の中で、どんなことを思っているかなんて、誰にもわからない。

 

私が、家で一人でいる時、どんなことをしているかなんて、誰も知らない。

 

 

 

でも、唯一、私の全てを知っている人物がいる。

 

 

それは、私自身。

 

 

 

 

 

 

 

私が思っているより、

 

意識の私は、私が嘘をつくことが大嫌い。

 

いえ、大嫌いと言うよりは、あまりにも次元が違い過ぎて、噛み合わない。

 

 

 

それでも、慣れと言うモノは恐ろしいモノで、嘘をつき続けると、それが普通で当たり前になって、当然になっていってしまう。

 

 

その生き方も、自分が選択したことであるし、逆に、同じ分だけ正直な人が存在する。

 

 

 

 

 

 

信念や観念、それから生まれた自我を手放し続けると、この嘘が自分につけなくなっていきます。

 

自分を誤魔化す。

自分を騙す。

自分に素直にならない。

 

この方向に意識が向きだすと、半端ない違和感が生まれてきます。

 

とにかく、気分が悪い。

 

 

 

 

人間意識の時に思っていた、「いい人になろう。」と言う言葉からは、段々と遠のいていきます。

 

 

 

 

自分を誤魔化さないようにするためには、自分が本当はどんなことを思っているかを知る必要があります。

 

ここで注意をしなければいけないのは、

 

人間意識は、「面倒で、自分がしたくない」と思っていることが、自分が本当に思っていることだと勘違いします。

 

 

そうではなくて、

 

もし、どちらかを選択しなければいけないことがあったとき、人間意識で選ぶなら、

 

面倒だと思う方を選択すること。

 

と言うほど、スピリット意識と、人間意識は真逆です。

 

 

 

 

 

ただ、人間意識の中でも、わかってるんです、本当は。

 

 

ちょうど、

 

 

 

 

夏休みの宿題を、もっと早くからやっておけば、こんなことにはならなかったと思うように、

 

夏休みの間中ずっと、どんなに遊んで楽しんでいても、その楽しさがフッと消えた時、

 

「あぁ、宿題をやらなきゃぁ」

 

と、思うのと同じように、

 

人間意識で、

 

「めんどくさいなぁ」

 

と、思いながらも、本当は、やった方がいいと言うことは、わかっています。

 

 

 

 

「楽な方を選んだ方がいいじゃない。」

 

そうです。そういう選択もありです。

 

ただ、この「楽な方を選んだ方がいい。」と思う奥に、どんな意識があるか?なんです。

 

 

 

 

どうでもいい。

めんどくさい。

やりたくない。

何の成長も望まない。

 

こう思った瞬間、意識のエネルギーは、そちらの方向へ舵をとります。

 

どんな選択が目の前に現れても、この選択をしていくことになるので、これ以上の生き方を体験することはないと言うことになります。

 

 

 

 

じゃあ、自分を誤魔化さず、自分に嘘をつかず、自分に素直な選択をしていくとどうなるのか。

 

一言で言えば、

 

 

満ち足りていきます。

 

 

 

この世界が、苦しくて仕方なかったのに、

 

この世界が、イヤで抜け出したかったのに、

 

この世界より、もっといい世界に行きたいと望んでいたのに、

 

 

その同じ世界が、満ち足りた世界になります。

 

 

 

私の内側にあった、気になるコトを無くしていくと、

 

次は、外の世界が、私の気になるコトを解決してくれます。

 

 

 

私が気になるコトなんて、本当に些細なコトです。

 

でも、その些細なコトが、目の前で、奇跡のように、魔法のように解決されていく様を観るのは、本当に面白い。

 

 

この世界は、こんなふうになっているんだぁ。

 

そんな感激を、体験できるなどとは、思ってもいませんでしたから。