今日は、朝9時から、母の眼科受診の付き添いをしました。
母は、3月14日に緑内障の手術をし、ちょうど1ヶ月が経とうとしています。
白内障は、
水晶体が濁るために、外に見える世界は、かすみがかかったようになります。
だから手術は、この水晶体の濁りを取り除いて、新しいレンズを入れるので、手術をした直後から、驚くほど視力がよくなります。
でも、緑内障は、
硝子体の中にある水分の出口がうまく水を流せないようになったために、硝子体の中が段々とパンパンになり(眼圧が上がる)、そうなることで、見えた像を脳に伝えるための視神経の働きに異常が起こり、視野が狭くなり、放置すると失明してしまいます。
そのため、手術は、この水を流すルートを作ってあげると言う方法です。
母は、ずっと目薬を使って眼圧を下げていましたが、右目の方は、その目薬の効果が得られないため、とうとう手術を余儀なくされました。
手術は成功し、経過も順調です。
でも、白内障のように見えなかった眼を、見えるようにする手術ではなく、あくまでも眼圧を下げ、視神経への障害を今以上にさせないことが目的です。
だから、手術をしたからと言って見えるようになるわけではありません。
それどころか、パンパンになっていた目が、水を流せるようになったことで、しぼんでしまったから、網膜に焦点が合うようになるまでには、ある程度の時間がかかります。
手術をしてから、1週間毎に眼科受診をし、それごとに、手術前までしていた目薬は、止めておいてとか、また開始してくださいとか、とにかくややこしいんです。
病院の看護師さんは、点眼薬の名前を言って、これは開始してくださいとか言いますけど、私は点眼しているわけではないし、母も90歳で、いくら毎日点眼してるからって、そうやすやすと覚えられるものではありません。
だから私、看護師さんに、表を使って、いつ点眼するのか書いてくださいと、お願いしたんです。
それが、
この表です。
こんなに、朝昼晩と寝る前に目薬をしてるんです
おまけに、次の目薬をさすまで、2~3分くらいは間を空けるんです。
で、ここからが、今日の本題なんですけどね・・・
私と看護師さんとのやりとりを、隣に座っていた女性の方が、笑いながら聞いてるんです。
看護師さんが診察室の方へ行かれてから、母とその方は、同じ病気だと言うことで、話しが弾みました。
その方も緑内障の手術をされたばかりで、母よりは随分と若い方でしたが、この病院のすぐ近くに住んでみえるようで、娘さん達がいるようですが、独居で、食べることとお風呂と、おトイレに行く以外は、目が見えなくて何もできないと言う話しを、母にしていました。
その方は、自分一人で受診されていましたが、やっぱり家族に付いて来てもらわないと、言われたことがよくわからないし、直ぐに忘れてしまうので困ると言うのです。
母の隣で聞いている私も、そりゃそうだと思いましたよ。
やがて、その方の所へ看護師さんがみえ、〇〇の目薬は1日4回、〇〇の目薬は1日2回というような内容を書かれた紙を見せながら、その方に説明していました。
その方は、看護師さんに、「はい、はい」と答えていましたが、看護師さんが立ち去ったあと、
「聞いても、家に帰ると、どういうことだったんだろうかと思うし、この最後の字は、もう読むことはできませんわぁ」
そう言いながら、私たちに会釈をしながら、病院を後にしました。
その後、私は後悔したんです。
その人が読めなかった字を、私のペンで大きく書いてあげるか、受付の人に大きく書いてもらうよう頼めばよかったなぁと。
そして、それ以上に後悔しているのが、
その人が、何故、私と母の会話を聞いて、話しかけてきたのかと言う、その人の想いを知ろうとしなかったのか。
後悔した。
と言うことは、私には、その時もう一つの選択があったのに、そちらを選ばなかったということです。
もし私が、その人の想いを知ろうと話しを聴いていたなら、読めない字を大きく書くと言う流れに繋がっていたと思うんです。
その体験、したかったなぁ~~~~