何かわからない。
何かわからないのに、何者かになろうとする自分がいました。
人間に違いないのに、自分の中の誰かと、いつも喋ってる。
独り言だと思っていました。
脳が、そういうしくみなんだと思ってました。
自我を手放していくと、段々と自分が観えてきました。
傲慢さ
承認欲求
執着
保身
見返りを期待する等々
は、持っていたモノで、私ではなかったんです。
元々、持っていないモノを持っていましたから、とても辛いし、苦しいし、
「なんでこんな思いまでして生きていなきゃいけないんだ。死んでしまった方がどんなに楽か。」
そんなコトを、死んでしまった方が楽かどうかなど知りもしないのに、考えたりします。
結局、私たちは、自分がスピリットだと知ってるから、そんな言葉を言ってしまうんだろうなと、思っています。
自分に素直になって、『我』を捨てれば、こんなに楽になれる。
死ななくても、この世界で楽になれる方法がある。
『我を張る』
それはまるで、
自分の殻に閉じこもっている様。
誰にも入り込ませない。
誰の言うことにも耳をかさない。
誰にも、この殻は割らせない。
誰とも関わらない。
誰とも話さない。
『我』が、自分を追い込んでいることにさえ気づけない。
殻を割るのは、自分自身。
この殻が、『我』でできていることに気づくコト。
『我』が現れている時は、
自分の意見を通そうとしている時。
誰かに、あの人が間違っていて、私が正しいと言いたいと思っている時。
一つのことしか、考えられなくなっている時。
誰かと自分を比較している時。
悪いのは、あの人と、誰かのせいにしている時。
日常生活が、ズタボロになっている時。
仕事をしている時と、自分一人になっている時のギャップが激しい時。
体調がすぐれない時。
そんなに『我』を張って、何をしようとしているのか、自分自身に聴いてみる。
答えが還ってこなくても、聴き続ける。
何者かに成ろうとせずとも、この『我』を手放していけば、人間として想像していたモノ以上の自分が観えてきます。
この殻から出てしまえば、『我』が欲しがっていたモノは、分相応に全て与えられます。