こんなに、モヤモヤしているわけじゃないけれど、
私には、『苦』になっていたことが、ありました。
いつぞやのブログにも書きましたが、
10年前、手術室で働いていたときに作成したマニュアルのUSBやDVDを、ずっと捨てられずにいました。
そんな中、つい最近一緒に働いていた同僚が、手術室へ異動することを知り、全部譲ることができ、私の『苦』になる一つが消えていきました。
結婚するときに、母が着物を買いそろえてくれました。
でも、本当に、着物って着る機会がなく、しつけしたままの着物も残っていました。
以前、母は、自分が死ぬまでは処分しないで欲しいと言っていたのに、一緒に住むようになって、着物を売ったらどうだと提案してきました。
早速、買い取り業者に来て頂き、見積もりしてもらいましたが、結構な枚数があったにも関わらず、その中から業者が買うと言ってくれたのは、わずか3枚。
それも、8,000円
キャンセルさせて頂きました。
そんな話しを、行きつけの美容院で話しをしていたら、着物を買い取ってくれたり、アレンジしてくれる人がいることを教えてくれて、
一部は、割烹着に。
成人式に着た着物は、タペストリーに。
全く袖を通してなかった羽織は、カバンに変身。
その他の着物も、お茶会の方たちに売ってくだいました。
私の『苦』になることが、また一つ、消えていきました。
今、私の父は、認知症になり介護も必要となったので施設で過ごしていますが、手先が器用だった父は、86歳くらいから伊勢型紙を独学で始め、
結構な腕前になっていましたが、89歳くらいから認知症も始まり、段々作らなくなってしまいました。
この伊勢型紙には、原画があるわけですが、10枚ほど買ってあったのに、それを使うことなく父はやらなくなってしまいました。
その原画、1枚1,500円とか2,500円とか、それなりの値段がします。
これもやっぱり捨てられずに置いてあり、『苦』になっていたんです。
私が働いている職場の課長とは、もう丸っと4年一緒にいます。
だのに、先週何でもない話しをしていたら、伊勢型紙をしていたことがあり、原画を欲しいと言うのです。
えーーーーーー ですよ。
こんな身近に、伊勢型紙をする人がいたなんて
もちろん、全部差し上げました。
私の『苦』になっていたことが、また一つ消えました。
主人は、稲も作らなくなった田んぼの草を15年、ひたすら刈り続けていました。
もう一つ、草を刈ったり、周りを綺麗にしておかないといけない土地がありました。
その2つの土地が、今年に入って、2つとも売れてしまいました。
主人も私も、『苦』になっていたことが、また一つ消えていきました。
先日、ひろこさんとランチを食べに行きました。
私は、この数日前から、ひろ子さんと一緒にリサイクルセンターに行きたいと思っていました。
何故なら、
このエアロバイクを手放したいと思っていたからです。
以前、よく使っていたバイクが古くなったために新しいモノを購入したのですが、いつの間にか使わなくなってしまいました。
捨てるにはもったいないし、かと言って欲しい人も見当たらず。
ひろ子さんは、色んな情報を知っているからと、相談したわけです。
3件のリサイクルセンターを回りましたが、健康器具というのは取り扱っていないと言うのです。
もう1件行こうと、ひろ子さんが言ってくれたので、行ってみると、そこは買い取りはしないけど、売ることはできると言ってくれて、家まで無料で引き取りに来てくれるというのです。
もちろんお願いしました。
また、『苦』になっていたことが、消えていきました。
自分自身の『苦』になることから、逃げないことを選択し続けてきて観えてきた世界。
やり続けて観えてきた世界。
これだけはっきり観えてくると、面白くて仕方がない。
この世の法則は、なんてシンプルなんだと、なんて素直なんだと、そんなことを教えてくれる。
自我意識で、追いつけもしない何かを、追い続けていたことに気づかせてくれる。
こんな生き方ができるしくみがあったことに、どうやって感謝すればいいかわからない。