老けたなぁ~ショボーン

 

以前の私なら、鏡に映る自分の姿を見て、年齢を気にしていたかもしれません。

 

 

 

 

「もう、45歳なんです。あとわずかしか働けないし、この先どうなっていくのか不安で・・・」

 

そんなことを、60歳になろうかと言う私の前で言われると、

 

 

私は、化石か!!

 

そう言いたくもなる。爆  笑

 

 

 

 

 

肉体の年齢が気にならなくなったのは、いつ頃からだろうか?

 

そんなことを、ふと思いました。

 

 

 

気にならないと言うのは、自分の体のことを放置していると言うわけではありません。

 

肉体の年齢に、意識が向かなくなったと言った方がいいのかな。

 

 

 

 

それよりも、霊性進化の方が、ずっとずっと面白い。

 

 

 

人間意識から、スピリット意識へ段々と近づいていくと、肉体の老いに意識が向かなくなっていきました。

 

〇〇歳だから、もう遅い。

〇〇歳だから、今からは無理。

 

そんなコトさえも、考えなくなりました。

 

 

 

かと言って、今からオリンピック選手になる気など、さらさらありませんが、そういう何かに成るとか、何か今と違う私に成るとか、自分の分相応を逸脱して何かをやらねば!と思うこともなく、何かをしていないと、段々と年老いていくから何かをせねば!という焦りもない。

 

 

 

 

霊性進化していくと、子どもの時の無邪気さに戻っていきます。

 

と、説明すればいいのでしょうか?

 

 

子どものように、後先考えずに、周りの事も何も気にせずに行動を起こす。

と、言うのではなく、

 

大人になるにつれ、

 

「こうすれば、こうなるから、止めておこう。」

「私には、そんな時間はないから、諦めよう。」

「老後のことを考えたら、今はお金を使わないようにしよう。」

 

と言うことを考えなくなる。

 

と言った方がいいかもしれません。

 

 

 

 

自分のハートが、どこに向かっていくのか、ただただ興味があって、追いかけていく。

 

何を教えてくれるのか、どんな感覚を体験させてくれるのか、ただただ興味があって、追いかけていく。

 

肉体の私は、その体験をしたくて、意識の私を追い続けて行く。

 

 

 

ずっとそんな感じです。

 

私がこの三次元世界で体験している今の仕事や、家庭や、人間関係などのさまざまな体験を、意識の私がしたかったのではなく、そういう材料を使って、意識の私は、この肉体の私に、感覚を体験させたいのではないかと、思うようになりました。

 

 

使う材料は、何でもいいんです。

 

 

 

 

自我という世界の感覚。

自我を超えた世界の感覚。

 

 

 

自我の世界での感動と、自我を超えた世界での感動は、違います。

自我の世界での幸福感と、自我を超えた世界での幸福感は、違います。

 

 

感覚が変わると、定義が変化していきます。

 

 

自我の世界での幸せの定義は、

 

お金があること。

やりたいことがあること。

健康であること。

人間関係がうまくいっていること。

家族に悩みがないこと等々でしたが、

 

 

自我を超えていくと、幸せの定義は、

 

霊性進化していくこと。

 

 

 

 

自我を超えていない私でさえ、そう思います。

 

 

 

私はまだ、自我を超えたか、超えてないかレベルで、次のレベルを知りません。

想像もつかない世界です。

 

今の層を抜け出ない限り、何が観えて来るのかわかりません。

 

 

 

 

そんな、観たこともない世界を観たいと思って試行錯誤している私は、肉体の年齢に意識が向かなくなってしまいました。

 

でもね、霊性進化って面白いんですが、霊性進化すればするほど、肉体も大切にするんです。

 

何せ、めんどくさいを使いませんから、

歯医者には定期的に通いますし、眼科検診も受けてきます。

便通は整えますし、暴飲暴食はしません。

サプリメントも適度に使い、運動もします。

体も必要な時に休めますし、食べたいモノや量は、体と相談します。

眠たいからと、お顔のお手入れを止めたことはありません。

 

 

だのに、どうしてあと3キロ痩せないんだ!

だのに、どうして、三段腹なんだ!

 

 

 

霊性進化に、年齢は関係しません。