私は、自我意識からの観察をしていました。
今朝、そのコトに気づかせてもらいました。
霊性進化の世界は、まだまだこんなもんじゃない。
そう思いながら、次は何がやってくるのだろうかと、ワクワク半分、ドキドキ半分の世界にいました。
物質的な願いが叶いだすと、
「ここらへんで、もういいんじゃないの?」
そうやって、私の自我が誘惑してきます。
でも、もう一人の私が言います。
「そうだけど、こんなもんで終わっていいの? あまりにも中途半端じゃないの?」
まだ物足らない。
まだ、何かやり残してる。
私は、まだまだ成長したい!
でも、次の課題が観えてこない。
そう思っていたら、教えてくれました。
「まだまだ、あなたは、自我の中にいますよ。」
あちゃ~
こうやって何度も何度も、この体験をしています。
でも、何度も何度も、分相応の課題をクリアしてきました。
以前は落ち込んだり、気づかなかった自分にへこんだりしてましたけど、こうやって課題が来るということは、この課題をクリアできる位置にやってきたんだと、嬉しく思います。
悔しいんですよ。
本当に、悔しい。
絶対にここを超えてやる!
そう思います。
いつも課題が提示されて、何を問われているのか、どうやったら答えを導き出せるのか、どこにヒントが隠されているのか、全くわかりません。
イメージで言うと、
答えに繋がるパズルのピースが、私の観る世界のそこらじゅうに散らばっているんです。
それは体験だったり、言葉だったり、感情だったり、知識だったり・・・と、私の日常生活の中に隠されています。
ヒントになるピースは、何となく記憶に残っていて、何度も思考の中に現れたりします。
少しづつピースが集まり出します。
私たちがパズルをする時は、最初からどんな模様になるかわかっています。
わかっていなくても、ある程度ピースが揃いだすと、何の模様かわかってきます。
でも、この霊性進化のためのピースは、
最後のワンピースが揃って初めて、
「そう言うことだったのか!」
とわかり、
感動と興奮と感激と感謝の入り混じった感覚を味わう。
そんな感じです。
私は、自我意識からの観察しかできていなかったコトに、気づかせてもらいました。
私は、スピリット意識からの観察をしたい。
今は、全くわかりません。
今私がいるこの意識の層には、この答えはないと言うことです。
また、試行錯誤が始まります。
でも、この課題が提示されたということは、この課題をクリアできるちょこっと手前まで来ているということです。
絶対に見つけてやる
そう言いたいところですが、こうやって力んでる時は、絶対に見つからない。
体験上、焦っても焦らなくても、必ずそこに到達できます。
とにかくやることは今までと同じです。
生き方の純度を上げていく。