自我を超えない限り、目覚めの扉は開かない。
自我を持っている限り、意識の私と、肉体(思考)の私は、完全に一致することはできないんだと思います。
自我は、コントラスト。
比較の世界だからです。
自分が、どんな自我を持っているか自分で知ることはできません。
自己紹介の時のように、
「私は、消極的で、人前に出るのが苦手で・・・」
と、さも自分のコトは、自分が一番よく知っているように振る舞ってしまうけれど、周りからしたら、
「どこが消極的なん?」
と、突っ込みを入れたくなる時もあります。
そもそも自我は、自分の性格のことではなく、生まれてから知り得た知識や、色々な体験をしたことで、自分にとって心地の悪いコト、嫌いなコトが生まれ、その感情を味わいたくないと思ったコトで、どうやったらその感情を味わわなくて済むだろうと自分なりに、自分の心を防御しようとして生まれたモノです。
おおもとの根っこには、「愛されたい。」「自分の存在価値を認めて欲しい。」が、あると思っています。
自我は、比較することから生まれます。
比較すると言うことは、必ず他者が存在します。
自分と他者の関係は、意識の私と肉体(思考)の私の関係を教えてくれます。
「あの人なんか、大っ嫌い!」
それが、意識の私との関係です。
コントラストが存在する限り、意識の私と肉体(思考)の私は統合できない。
意識の私と肉体(思考)の私が統合するという、霊性進化のプロセスがあります。
統合して初めて、スピリット意識の世界へ入っていける。
私は、自我を使わないようにするにはどうすればいいのかと思い、私が観ている世界を、映画の映像のように捉えようとしてみましたが、これはうまくいきませんでした。
何故なら、自我を使わないようにしている時点で、自我は自分にとって都合の悪いモノだとジャッジしています。
それと、この方法を使ってみようと思っても楽しくなかったんです。
私はこれまでにも、こうやってみたらどうなるだろうと、自分で実験をしています。
その際、その方法がスピリットレベルであると、やってみたいと思うし、やってみて楽しくて仕方がないし、心地いい気分になるんです。
でも今回は、無理をしている。ワクワクしない。楽しくない。心地いい気分にならない。
だから、この方法は、人間意識だとわかったんです。
私が観る、外の世界の人間関係は、意識の私と肉体(思考)の私の関係を教えてくれています。
家族との関係は、最後の砦で、一番抜け落ちていた部分でした。
職場や知人達との関係については意識するのに、家族に対してはゆるゆるです。
他の人には、言わないようなコトでも、家族には言ってしまいます。
他の人の話しは聴こうとするのに、家族の話しは聴こうとしません。
家族なんだから、わかってくれるだろう。
親なんだから、子どもなんだからと、その関係性を持ち出して、真剣に向き合おうとしていませんでしたし、何をしても赦されると思い込んでいました。
でも、気づいてしまいました。
この関係性が、意識の私との関係性だと言うことに。
だから、私は、母に夫に子供に、満足してもらえる行動を起こしました。
これは、何もかもしてあげることではありません。
私が、「したくないな、めんどうだな」と一瞬でも思ったら、絶対にそれは実行することにしたんです。
ここに、鏡に映る、私の自我があると思ったからです。
自我を超えるには、自我を満足させる。
自我を満足させると、手放すことができる。
手放すことができると、心地いい気分になる。
心地いい気分になるから、もっと関わりたいと思うし、もっと満足させたいと思う。
意識の私が、本当に満足したかどうかは、母や夫や子どもたちを観察することでわかります。
夫は、ホワイトデーに、何時間もかけてタルトのチーズケーキを作ってくれました。
私が仕事を休んで、内科や眼科等々の受診に付き合ってくれているからと、母からは10万円頂きました。
長女には、長女用の軽自動車を買おうかと相談すると、自分もお金を出すと貯金を下ろしてくれました。
次女には、土地が売れたので、いくらかのお金をあげたら喜んでくれて、旅行に一緒に行こうと誘ってくれました。
ひろ子さんは、私の還暦のお祝いにと、自分がやってもらって最高に気持ちよかったヘッドスパをプレゼントすると予約を取ってくれました。
今までの私なら、ただ単に、嬉しいと喜んでいただけかもしれませんが、今は、こうやって外の世界を観察することで、意識の私を観察することができるようになりました。
そしてこういうことが起こったことで、心の底から腑に落ちたんです。
私の内側の世界が外の世界に投影されている。
この体験で、意識の私と肉体(思考)の私が完全に統合することが、第一関門であり、自我を持った私にとっては、最大の難関でもあるんだと思いました。
それで、映画の映像の件に戻りますが、これは心地よくないから却下します。
でも、こういう試行錯誤をしたお陰で、気づけたことがあります。
それは、
私が、誰かの事を、
「幼いな。」
と思ったら、私に幼い自我があるんだと、
「頑固だな。」
と思ったら、私に頑固な自我があるんだと、気づけるようになってきたんです。
今までも気づけてましたけど、他人事のように思ってました。
で、今日、自分の自我を他の人に観たら、素直に自分の自我だと認めてみたら、引っ掛かりがなくなって、消えていくのがわかりました。
ですから、この方法を実行してみることにしました。