願いを叶えたい。

 

もっと幸せになりたい。

 

楽に生きたい。

 

自由になりたい。

 

やりたいことだけやっていればいいような生活をしてみたい。

 

 

 

 

この願い、霊性進化していけば、願わなくても叶います。

 

 

 

 

 

 

知っていても、知っていなくても、

 

わかっていても、わかっていなくても、

 

誰もが、霊性進化しています。

 

 

 

それは、引力の法則を知っていても、知っていなくても使っているのと同じです。

 

 

 

そもそも、自我優位の意識での

 

願いを叶えたい。

もっと幸せになりたい。

楽に生きたい。

自由になりたい。

やりたいことだけやっていればいいような生活をしてみたい。

 

の定義と、

 

スピリット意識での定義は、真逆です。

 

 

 

この世は意識とエネルギーの世界です。

 

自我優位の意識では、生きにくい構造になっています。

 

 

 

自我が70で、スピリット意識30より、

 

自我が30で、スピリット意識70の方が、生きやすい構造になっています。

 

 

 

 

もちろん、自我バリバリのMax100であっても、願いは叶います。

 

でも、この願いは、いつか真逆を観せられる世界を創造してしまいます。

 

外の世界と闘い続けるような、自己満足の為なら、なんの躊躇もしないような願いです。

 

それでも、同じスピリット。

 

Win-Winの関係は、成り立っています。

 

 

 

 

 

 

 

願いを叶えようと、躍起になっている時は願いが叶わないのに、

 

願いを諦めた時や、

フッと力が抜けた時、

願いに執着しなくなった時、

別のことを一生懸命にしている時・・・

 

そんな時に、願いが叶ってしまうのは、何故なんだろうと、

 

願いを叶えたいから、そういう状態になれるように意識すれば意識するほど、願いは叶わない。

 

それは、何故なんだろう。

 

自我バリバリの私は、よくそんなことを思っていました。

 

 

 

 

そして、ようやくわかりました。

 

霊性進化していくと、

 

願いを諦めた時や、

フッと力が抜けた時、

願いに執着しなくなった時、

別のことを一生懸命にしている時・・・

 

こういう状態になっていってしまうので、願いが叶ってしまうんです。

 

 

 

 

そもそも、自我をおもいっきり持っていた時の、あの強欲さはなくなってしまいます。

 

 

 

 

「あれも、これも願いを叶えたい。」と、思っていたのに、

分相応の願いは、叶ってしまう。

 

「もっと幸せになりたい。」と、思っていたのに、

既に幸せになっているし、

 

「楽に生きたい。」と、思っていたのに、

こんなに楽に生きていいのかと思ってしまうほど、楽に生きてるし、

 

「自由になりたい。」と、思っていたのに、

そもそも制限って何だったけ?と、自分が制限を創っていたことに気づいてしまったし、

 

「やりたいことだけやっていればいいような生活をしてみたい。」と、思っていたのに、

やりたくないことが存在しなくなってしまったから、どんなことが目の前に提示されても、やりたくなってしまう。

 

 

 

 

 

霊性進化は、気づきによって、この世の法則を知り、自分自身を攻略していき、この世の法則を意図的に使っていく。と言う経過を辿っていきます。

 

私はまだここの位置をウロウロしているだけで、これで終わりではないです。

 

それに、今、この位置にいても、自我を使えばいくらでも元の自我バリバリの世界へ戻ることはできます。

 

ただ、それを私は選択しません。

 

どう生きるか、自分で選択ができる。

 

この世は究極の自由が存在しています。

 

 

 

 

 

「どうやったら霊性進化を意図的にすることができるのか?」

 

その質問を、自分自身にしてみてください。

 

 

その後、閃いたことが、全く霊性進化と関係なさそうなことであっても、行動に移してください。

 

そもそも、霊性進化がどういうモノなのか、最初は全くわからないのですから、人間の知識を使って、「これは関係ある。これは関係ない。」などと、選ぶことは不可能です。

 

こんなこと無駄だとか、こんなことして何の意味があるのかなど、後にならないとわからないんです。

 

 

 

 

 

私が今していることは、

 

めんどくさいを使わない。

常に自分と会話して、自分の願いを叶えてあげる。

意識をハートに向けて、違和感があったら修正する。

話したくない、観たくない、聞きたくないことから逃げない。

 

全体的に言えば、

 

自分の意識を追い続けている。

 

そんな感覚で日常を生きています。

 

 

 

それは、とても心地いい気分です。

 

 

 

 

がむしゃらでも、

見よう見まねでも、

試行錯誤でも、

むちゃぶりでも、

 

何でもいいんです。

 

とにかく、ガイドがいてくれることを意識して、ガイドに喧嘩をふっかけてもいいから、とにかく、諦めないことです。

 

 

 

私も諦めません。

 

絶対に、こんなもんじゃない。