また、土地を売ることになりました。
と言うと、土地があるといいなぁ~って思うかもしれませんが、とんでもない。
ここは都会でもなんでもないし、そこらじゅうに田んぼや畑はあるし、売れる土地と言うのは道路沿いとか、何か開発があって、それに便乗できたらいい方で、道路からも程遠い、知る人ぞ知るというような土地は、負の遺産となってしまいます。
主人のお父さんから相続したわけですけど、ほおっておくと林にでもなっていくようなそんな土地です。
大きくドカンと広い土地ならともかく、ちびちびと、あちらこちらに散らばっている田や畑です。
今は夫が、草刈りをしたり色々してくれて、何とかなっていますが、私たちが高齢になって、どうしようもなくなった時、娘2人が管理できるようなモノでもない。
夫は、自分の代で、全てを処分すると決めました。
もちろん、私も賛成していました。
無料でもいいから、誰かに譲りたい。
そう思っていました。
そんな中、唯一宅地となっていた土地を今回売ることになります。
ただ、宅地であっても、誰が見ても、絶対に売れないだろうという場所にある土地です。
この世のしくみは、必ず内側から外の世界へ具現化されていきます。
でも、どうやってそうなっていくのか、そういうけれど、本当にそうなのか、私にはわかりませんでした。
どうやったら願いが叶うのか?
なぜ、願いが叶う時と、叶わない時があるのか?
願いを叶える方法がわかったらいいのに。
外の世界が、自分の思い通りになったらいいのに。
そんな自我バリバリの私の想いは、この宇宙のしくみの流れに乗ることはなく、願いはなかなか叶いませんでした。
そもそも、変えたいと思っているのは、外の世界です。
鏡に映っている自分の髪型を変えるには、鏡に映っている私の髪を触るのではなく、ここにいる私の髪型を変えないといけない。
そういう理屈はわかっているんです。
でも意識は、直ぐに外の世界にフォーカスしだします。
「ああなればいいなぁ~。」
外の世界を観て、そう思います。
そんなコトを繰り返しながら、最初の頃に気づいたコトがありました。
外の世界を観て、そうなればいいなぁ~と思うコトを全部ひっくるめると、私はどうなりたいと思ってるんだ?
そっか!
豊かになりたいと思ってるんだ。
だったら、私の内側を豊かにすればいいのか!
で・・・どうやって?
気づくんだけど、どうしたらいいのかわからない。
そんなコトを繰り返していました。
で、やっとみつけました。
私の願いを叶えてあげる。
私の願いを叶えてあげれば、外の世界も願いが叶うはず!
そう聞くと、
「今まで我慢していた、あのバックを買ってあげよう!」
「太るからと我慢していた、ケーキをたらふく食べてあげよう!」
と、ついなりがちですが、そうじゃないんです。
意識の私の願いを、肉体(思考)の私が叶えたあげることなんです。
意識の私の願いは、バックを買ってもらうことではないんです。
意識の私の願いは、ケーキを食べることではないんです。
意識の私は、そんなコト願っていないんです。
自我バリバリの私は、傲慢で欲深く、自分中心にしか物事を考えようとしません。
そのために、この自我があると、意識の私が願っているコトを無視するんです。
だって、意識の私が願っているコトは、何の得にもならないと自我は思っているからです。
意識の私の願いは、何も特別なコトじゃないんです。
いつも私が、ごく普通に、何も考えずにやってしまっている日常なんです。
意識の私は、意識の私が存在しているコトを知った上で、行動に移して欲しいと思ってるんです。
「お風呂に入ろう。」
そう思っているのは、肉体の私ではなく、意識の私なんです。
「お風呂に入ろう。」
そう思ったなら、
「了解!お風呂に入ろう。」
そうやって、意識の私の願いを叶える。
料理を作っている時も、
「ねぇ、あとどれくらいお砂糖入れたらいいと思う?」
そうやって、意識の私に質問をする。
肉体の私は、胸のハートに感じる感覚を使って、
「あ、大さじに半分くらいね。了解!」
それを実行する。
確かに、意識の私が、そのバックを買って使ってみたいと願うことはあります。
確かに、意識の私が、ケーキを食べて、その美味しさを味わってみたいと願うこともあります。
でも、意識の私と会話してバックを買っていたわけではなく、意識の私と相談して、チーズケーキを選んだわけじゃない。
ただ単に、肉体の私が勝手にしたこと。
なんだ、そんなふうにすれば、外の世界に願いが叶うのか!
そうです。それで願いは叶います。
ただ、自我の願いは、調和とバランスの世界には存在しません。
願いが叶わないとしたら、それは自我の欲望です。
例えば、
土地を売るということは、値段の交渉があるわけです。
相手が言ってきた値段に、
「いや、もうちょっと上じゃないとなぁ~」
そう言った時点で、もう流れから外れていきます。
結局、二頭追うモノ、一頭も得ず。状態になります。
自我を捨てていくと、この調和とバランスの感覚を捉えることができるようになっていきます。
不動産屋さんの望み、主人の望み、それだけでいいんです。
私の望みは、ここには入れません。
不動産屋さんは、直ぐに〇〇の値段で買いたいと言います。
私の頭の中には、来年の税金のコトがあります。
今年に入って土地を売り、また土地を売ると、来年の税金が積み重なります。
できたら、売買するのは来年にして欲しい。そう思っています。
主人にどうしたいか聞くと、
「税金のことなどどうでもいい。もう草刈りや手入れをすることから解放されたい。」
そう言いました。
私の願いを叶えようとすると、ハートに抵抗を感じます。
でも、夫の思う通りにしてあげたいと思うと、ハートには何の抵抗もありません。
主人の考えを不動産屋さんに伝えると、喜んで「早速動きます。」と言ってもらえました。
夫は、私の鏡でもあります。
夫が満足する方法を選択する。
自我を手放していくと、自我にくっついていた、承認欲求や、執着、不安や恐怖、無価値観等々も手放していくことになります。
そうなることで、意識の自分と肉体(思考)の自分が一致していきます。
一致していくと、何気なく、ただ呟いただけのような
「そうなったらいいなぁ~」
が、叶ってしまいます。
非日常的なコトが起きた時だけ願いが叶ったと思っていた私でしたが、私がこうやって過ごしている今に、特別など一切なく、全てこれが私の日常なんです。