霊性進化において、手放すことは第一歩でもあり、全てでもあります。
人間として生まれて、生きてきたことで、色んな知識を得、体験をしてきたことによって、私が信じるコト、私が、そうあるべきだと思い込んだコトがたくさんあります。
霊性進化は、そんな信念や観念を、いかに手放していくか。が、鍵になっています。
人間意識において、手放すとは捨てるコトであり、捨てる対象は、
不用になったモノ、
利用価値のなくなったモノ
自分に合わなくなったモノ
嫌いになったモノ 等々
だから私は最初、信念や観念を捨てるとは、
自分の嫌いなコトや自分が不必要だと思ったモノを捨てるのだと思っていました。
例えば、
「優しくしなければいけない。」は、捨てなくてもいいモノで、
「我慢しなければいけない。」は、捨てていいモノだと判断していました。
私たちは、家庭での教育でも、
「人に悪いことをしてはいけない。」とか、「人の物を盗んではいけない。」とか、当たり前のように教わり、道徳の時間でも、「人」が優先で、「自分」は後、みたいなコトを教わりました。
だから、信念や観念を捨てなさい。
そう言われても、結局のところ、私自身の判断で、
断捨離をするときのように、
「これは、残すモノ。」
「これは、捨てるモノ」
「これは・・・、そのままでいいや。」
みたいに判断、いわゆるジャッジをしていました。
私の判断基準があったわけです。
それでも何か、私にはわからないコトですが、何かの変化が起きていて、
「なんだ、持ってしまったモノを全て捨てていけばいいのか。
良い悪いは、存在しないんだ。」
そんな気づきが起きてきて、気づいた信念や観念は、すぐさま、
「捨てさせていただきます!」
そう言って、深呼吸して捨てていました。
ただ、今思えば、これは、鎮痛剤のようなモノで、対症療法であって、根治療法ではなかったんです。
重い周波数(感情)が、現れると、なかなか冷静(霊性)には、なれません。
そういう意味では、感情に気づいて、一呼吸置くと言うのは、膨らむ感情を停止させる役割はありましたし、実際、胸のハートの感覚は軽くなりました。
この経験は、胸のハートが軽くなると言う感覚を養う体験としては、十分に役割を果たしてくれました。
なにせ、私の生きてきた人生で、感情が膨らむことはあっても、意図的に軽くすると言う体験はしたことがなかったので、軽くなることで、重くなったときがわかるようになりました。
重いままでいると、「気持ちが悪い」と言う感覚を感じるようになりました。
だから、少しでもハートに重たさを感じると、ストップするようになったんです。
私の体験上ですが、霊性進化にはランクがあります。
最初の頃は、深呼吸するだけでも軽くなれたのに、徐々にその方法では軽くならない出来事が起こり始めました。
だから一生懸命、どうしたらいいのか試行錯誤して、そのうち突破口が見つかる。
そんなことを繰り返していたように思います。
そして『自我』と言うモノに行き当りました。
『自我』は、自分を守る為に生まれてきましたが、この『自我』は、信念と観念、そこへ思考がくっついて、創られたモノで、
そりゃぁもう、頑固で、ビクともしません。
そんでもって、自分が頑固だってことに、一切気づかないのだから、どうしようもありません。
手放せばいいのだとはわかるのですが、どうやって手放せばいいのかわからない。
投げても、いまいち。
踏み台にしてもダメ。
飛び越えても、超えられない。
え? なぜ、手放せていないのがわかるのかって?
だって・・・、外に観える世界が、変わらないんですよ。
私が持っているモノを、気づいて、意図的に手放すコトができた時は、外に観える世界が変わります。
なにせ、私の捉え方が変わったのですから、それは至極当然のコトです。
で、気づいたのが、家族以外の人との関係はすこぶるいいのに、家族には優しくできない私がいることがわかっちゃったんです。
母の話しや、夫や娘の話しを、知人や職場の人たちと同じように聴けない私がいました。
逆に言えば、母や夫や娘の話しを、他の人達と同じように聴くのが、めんどうだと思う私に気づいたわけですよ。
私は、常々言っています。
自我は、
観たくないコト
話したくないコト
聞きたくないコト
に、隠れていると。
で、ここで繋がったわけです。
これが、自我なんだと。
その頃の私は、何も使わなくても満足感を感じるようになっていました。
だから、母や夫や娘を満足させたらどうなるんだろうと思って、今まで聴きたくないと、逃げていたコトに対して、真向から向き合って、真剣に話しを聴くようにしたんです。
それでどうなったかと言うと、
私が、心地よくなったんです。
私は人間で、心地良いことは大好きです。
だから、今も、家族との会話や家族に何かしてあげたいと実行に移しています。
昨日から今日にかけて、夫がホワイトデーにと、
ちょっと、焦げちゃいましたが、タルトのチーズケーキを作ってくれました。
こう言うコトを期待して、家族の話しを聴いていたわけではありませんが、
「私の心地良さは、やっぱり鏡に映ってる。」
そう思います。
人間意識の手放すと、スピリット意識の手放すの定義は真逆だったんです。