この世のしくみを知れば知るほど、
自分に、つくづく呆れてしまう。
本当に、宝物は、
足元にあったんだよ。
・・・なんてこった
メーテルリンク原作の『青い鳥』 と言う絵本がありますが、
そのまんまですね。
幸せを呼ぶと言う青い鳥を探しに外の世界へ向かいますが、結局、青い鳥は家の中にいたと言うお話し。
自我優位でいたときを振り返ると、本当に足元を観ていなかった。
遠くに見えるモノばかりに意識を向け、いつか掴んでやろう。
そんなふうに思っていました。
自分の思うような世界にしたいと、
自分の思うような世界を頭の中にイメージする。
ああなればいいなぁ~
こうなればいいなぁ~
「でも、どうやってそこに行くの?」
「何も持っていないじゃない。」
「無理無理、あそこになんて行けっこないんだから。」
「じゃあ、今の生活に不平不満を言い続けて、毎日を暮らしていくの?」
「仕方ないんじゃないの? そんなものよ。」
常にもがいていた。
そんな感じでした。
自我を持つ私は、苦しみや悲しみ、辛さや憎しみ、妬み等々
あらゆる感情が、
心に突き刺さるのが怖くて、
話すときの言葉を選んだり、タイミングを考えたり、
「私から言うと、角が立つから、あなたから言ってよ。」
などと、
ありとあらゆる戦術を使って、人間関係のトラブルが起きないように、そぉ~っと、そぉ~っと、
まるで泥棒か、
眠っている赤ちゃんを、起こさないように・・・、起こさないように・・・
そんな、生き方をしていました。
それはとてもしんどくて、仕事のしんどいのと、わけが違ってた。
自我の世界は、私に足元を観せようとはしませんでした。
外にばかり意識を向けさせました。
自我は、外の世界を観るのは得意で、ジャッジしまくります。
基準は、『私』
私の許容範囲から出たら、アウト
「そこは間違った道ですよ」と、私の思い通りの道を歩いてもらわないと困ります
と、ほざき倒す。
もう、あの世界には、戻りたくありません。
でもね。
自我って凄いんです。
いつでも受け入れで、いつでも おいでおいでしてくれます。
外の世界に意識を向けた途端、知らない間に、その世界に入り込んでしまいます。
だから、今の私は、常に自分の足元・・・つまり意識の私に最大の意識を向け続けています。
意識の私に意識を向けると、目の前のことに意識を向けることができます。
目の前のこととは、私の日常です。
この日常とは、家の中の暮らしも、仕事も、人間関係も全て含まれた、私の24時間365日全てのコトです。
イメージで言うと、
足元にいるアリが、私をどこへ導いてくれるのかと、ずっと追い続けているような感じです。
具体的には、
私に望みが生まれると、意識の私(アリ)が、分相応の閃きを与えてくれて、それを肉体の私が、この世のしくみを使いながら、行動に移していく。
それを繰り返しています。
今日、平野歩夢選手が、金メダルを取りましたね。
彼は、予選前のインタビューで、
「めちゃくちゃ練習しました。」
そう言ってました。
彼がそう言うのだから、本当にめちゃくちゃ練習したんだろうなと、想像もつかない想像をしてました。
きっと彼らも、最初は誰かの真似をしたり、勉強したりしながら、自分の持つ特性を生かしながら、今に辿り着いたんだろうなと、そう思います。
彼にとって、今回の金メダルは、「一つの夢が叶いました。」に過ぎず、まだまだ夢があるんだと思いました。
なんせ、彼の名前は、『歩夢』ですものね。
このおばちゃんは、あんな壮大な技をすることはできませんが、私の内側では、壮大な技を使って人生を楽しもうと思ってます。
だから・・・このイラストは、あかんて