AかBかCか・・・

 

迷ってるように思いますが、実はもうどれを選ぶのか、既に決まっています。

 

 

 

 

 

人間意識は、どれを選ぶのかに重点を置いていません。

 

意識しているのは、結果です。

 

それを選んだ結果がどうなるか。

 

 

 

自分にとって、都合の良いことが起きるのかどうか。

自分にとって、利益の在る結果になるのかどうか。

 

逆に言えば、

 

自分にとって、都合の悪いことは極力避けたい。

自分にとって、不利益になる結果は、選びたくない。

 

 

 

だから、一生懸命に思考を使って、どれが一番自分にとって得かを考えます。

 

でも、人間意識優位でいる限り、どれを選択したとしても、結果は同じになってしまうんです。

 

 

 

 

 

人間意識優位とは、信念や観念を持ち、自我優位になっている状態です。

 

 

この世のしくみは、人間意識が持つ、信念や観念に気づき、自我を手放して、『ゼロ』に戻ることができるように、陰陽一対のしくみになっています。

 

 

何を気づかせようとしてくれているのかに気づかない限り、陰と陽を使って、外の世界に観せられることになります。

 

 

だから、Aを選んで、当初はうまくいったと思っても、その後、うまくいかない出来事が起きたりする。

 

そうすると、思うわけです。

 

「Aを選ぶんじゃなかった。」 と。

 

 

 

 

でも、それは、Bを選んでも、Cを選んでも、同じ結果に繋がっていきます。

 

何故なら、それを選んでいるのは、気づくことができていない私だからです。

 

 

 

 

 

 

例えば、

 

キッチンから、コーヒーを入れたマグカップを持って、自分の部屋へ行こうと廊下を歩いている時に、コーヒーを少し、こぼしてしまったとします。

 

 

それに気づいた私には、3つの選択があります。

 

 

直ぐに、雑巾で拭き取るか、

 

後で拭けばいいかと、そのまま放置するか。

 

いつか乾くだろうと、そのまま放置するか。

 

 

 

その後、たまたま高齢の母が、暗い廊下を歩いて、そのこぼれたコーヒーの上を歩いたことによって、転倒し骨折をして、救急搬送されて手術をしたけれど、寝たきりになってしまった。とします。

 

 

そうなったら、必ず私は後悔をするわけです。

 

「あの時、何で直ぐに、こぼしたコーヒーを拭き取らなかったのか。」 と。

 

 

 

 

そんな大事にはならないでしょ~

それは、レアなこと。

 

そう思いますか?

 

 

 

 

 

 

 

 

こうやって、

 

「めんどくさいことは後回しにしよう。」

 

そんなことを何度も繰り返していたはずなんです。

 

 

 

「めんどくさいことは後回しにする。」

 

これ、思いっきり自我の特徴です。

 

 

 

自我を意識しようがしまいが、この世のしくみは、それを手放す為にあります。

 

だから、これまでにも何度かガイドが気づかせようと、アクションを起こしていたはずなんです。

 

 

 

 

この世のしくみの一つに、

必ず自分が放出したエネルギーは還ってくるという法則があります。

 

10のエネルギーを放出すれば、20のエネルギーが還ってきて、

20のエネルギーを放出すれば、40のエネルギーになって還ってくるという、数字はともかく、増強するというか、拡張するというか・・・要するに段々エネルギーが大きくなる。

 

 

最初は、指先を包丁で切ってしまったような大したことないような出来事が、

自転車に乗っていて転倒してしまい、あげくの果てに、母が転倒して骨折してしまった。

 

 

こんなふうに、気づかないと、どんどんと膨らんでいくという、この世のしくみがあります。

 

何故、そう思うのかって?

 

だって、私は何度も経験してきてましたから。ニヒヒ

 

 

 

 

 

話しは、元に戻りますが、

 

もし、私が、廊下にこぼしてしまったコーヒーを、直ぐに拭き取っていたら、母の骨折(仮のお話し)はなかったわけで、このタイムラインを選択していれば、

 

そもそも、後悔などないわけです。

 

 

 

 

 

「やっぱりあっちを選んでおけばよかった。」

 

意識の自分が、せっかく教えてくれていた選択を無視して、思考優位で選択をした結果、こんな後悔をしてしまう。

 

 

 

 

じゃあ、意識の自分が教えてくれた選択をすれば、後悔はないのか?

と、質問したくなりますよね。

 

 

結論から言えば、後悔は存在しません。

 

 

 

意識の自分が選択したとわかるようになったときには、

 

どんな結果を観ることになっても、その意図がわかるので、後悔は存在しないんです。

 

 

 

 

 

意識の自分が選択したかどうかなんて、私にはわかることなんかできない。

 

そう思っている方がみえるなら、それは大間違いです。

 

絶対に体験しています。

 

 

 

 

体験してるから、

 

「やっぱりあっちを選んでおけばよかった。」

 

そんなふうに思うんです。

 

 

最初に、あっちを選んでいたのが、意識の自分です。

それを無視したのが、人間意識優位の自分です。

 

 

 

 

急に話しが変わりますが、

 

この間、クリーニングを出しに行ったんです。

 

で、2日後くらいにそのクリーニング屋さんの直ぐ近くの場所で仕事をすることになったので、仕事終わりに取りに行ったんです。

 

お金は既に支払い済みだったので、カバンはその場所に置いておくことにしました。

 

でもその時一瞬、

 

「財布」

 

そう思ったのですが、

 

「ま、いっか。支払いしてるし、携帯にペイペイ入ってるし。」

 

と、クリーニング屋さんに携帯だけ持って行きました。

 

 

そしたら案の定、

 

染み抜きが必要ならしておいてくださいと頼んでおいたことを忘れていて追加料金を支払わなくてはならず・・・

 

ペイペイは使えず・・・

 

もう一度戻って、財布を取りに行きました。ショボーン

 

 

 

 

 

人生には、色んな選択があります。

 

人間として生きる上で、とても重要だと思える選択もあれば、

コーヒーと紅茶、どっちにしようかと、どっちを選んでもいいような選択もあります。

 

 

でも私は、どちらも私の分相応の中にある、どちらも同じレベルの選択だと思っています。

 

 

オリンピックで、選手の方たちが結果を出していますが、それはここまでやってきた練習の結果です。

 

きっと、

ここで技を出すか出さないか。

 

そんな選択を一瞬のうちにしてるんだと思います。

 

でもその一瞬の選択は、やはりそれまでの練習の結果、自分をどこまで信じることができるかどうかにかかっていると思います。

 

 

 

この毎日の日常の選択を意図的に選択してみる。

 

意識の自分が選択したのかどうかは、自分にしかわかりません。

 

何度も何度も、失敗を繰り返してみて、

やっとどっちが意識でどっちが思考かがわかるようになってくる。

 

 

 

 

「それは失敗じゃなくて、その方法ではうまくいかないことがわかったんだから成功なんだよ。」

 

トーマス・エジソンの名言の一つです。

 

 

 

 

自分の感覚は自分で掴んでいく。

 

だから私は、コーヒーか紅茶かを選ぶ時でも、意識の自分に聞いています。