宇宙の中に、銀河があり、銀河の中に太陽系があり、太陽系の中に地球がある。

 

以前、ニュウートンと言う科学雑誌を読んだところ、木星が生まれたことで、地球が生まれたと書かれていた。逆の言い方をすれば、木星が生まれてなければ、地球は生まれていなかった。

 

 

 

 

 

 

人間の体には、脳や心臓や肝臓と言うそれぞれのパーツがあり、そのパーツを作っているのが、細胞。

 

 

 

 

 

以前、NHKでタモリさんと山中教授が司会の、『人体』というシリーズがやってた。

 

 

骨は毎日、破壊され、毎日作られる。

そのバランスが崩れて、作られる量より、破壊される量が増すと、骨粗しょう症になる。

 

じゃあ、骨を作るために、日光に当たったり、カルシウムを食べていれば骨が作られるかというとそうじゃないらしい。

 

 

 

20代の若い競輪選手が、自転車で友達の家に行く途中で転倒。

 

何でもない転倒だったのに、骨折をしてしまいました。

 

運動もして、筋肉モリモリで20代と若いのに、彼は、骨粗しょう症になっていたんです。

 

 

 

 

彼は、競輪で勝つために必要な筋肉を鍛える必要はあるけれど、走るための筋肉は鍛える必要はないと思っていました。

 

そのことと、骨粗しょう症とどういう関係があるのかなんですが、実は踵を地につけることが骨を作るのにとても重要だと言うことがわかってきたんです。

 

 

 

 

私たちの遠い祖先の時代は、コンビニなんかありませんから、自分たちで食べ物を得る必要があります。

 

獲物を捕るためには、走る必要がありました。

 

走ることで、踵が地面に着き、その振動が背骨を伝って、脳に伝わる。

 

脳は、その振動を感知して、骨を作れと、体中にサインを送る。

 

獲物を捕るためには、走るための丈夫な骨が必要。

 

サインを感知した、それぞれの臓器の細胞たちは、それぞれの役割を果たして、生きるために体のバランスを取ろうとする。

 

 

 

 

この細胞たち、一つ一つの働きがあって、臓器そのものの働きができて、その結果、1人の人間の体が生きていられる。

 

 

 

 

その私1人にも、この体の細胞と同じように、役割があります。

 

 

この私1人が生きていても、死んでいても、この世に何も影響を与える事なんかあるわけないじゃない。

 

そんなふうに思えるけれど、実際には、この私の体のどこか一部の細胞でも壊れてしまうと、途端に体調を崩し始めるように、この世のしくみには絶妙なバランスで、1人1人が存在しています。

 

 

 

 

この法則は、宇宙全体に成り立っていて、この地球でもその法則が成り立っていて、生物の中でも成り立っていて、人間の中でも成り立っている。

 

 

 

 

じゃあ、私の役割って何?

 

って考えた時、

 

女性であること?

妻であること?

母であること?

仕事をする人であること?

娘であること?

 

 

 

そう考えたいけど、そうじゃないと私は、思います。

 

 

その立場を使って、どんな霊性進化をするか。

 

意識を拡張させるか。

 

 

 

私には、よくわかりませんが、宇宙が拡張し続けているのと同じしくみのように思います。

 

 

 

じゃあ、意識が拡張すれば、どうなるんでしょうかね?

 

今の私には、さっぱりわかりませんが、元々私たちは、意識なので、そのレベルでは何かがあるんだと思います。

 

 

 

 

 

オリンピックも始まり、世界の出来事が、目の前のテレビのスクリーンに映し出されると、世界のこと全てがわかったような、全てに関わっているような錯覚をしてしまいますが、

 

実のところは、今、目の前にあることにしか関わっていないんだと思っています。

 

 

 

ニューヨークにいる誰かと、Zoomで繋がっていたとしても、目の前の人。

世界中の株取引をパソコンでやりとりしていたとしても、目の前のデータ。

宇宙船の中にいても、目の前の機器。

 

 

もちろん、そのデータややっていることが、世界中の人に何らかの影響を与えることにはなっていますが、自分自身が何かをしているのは、目の前のこと。

 

 

この目の前のことをすることが、私と言うパーツの役割だと思っています。

 

ただ、その奥には、霊性進化する私の意識の成長も同時に存在しています。

 

 

 

 

今日は、あちこちお話しが飛びましたが、

 

結局のところ言いたかったのは、

 

 

細胞一つ一つが存在しなければ、この人間の体が創られないように、

星の一つ一つが存在しなければ、宇宙が創られないように、

 

 

自分と言う存在がなければ、この世のしくみは存在しなかった。

 

それほど、自分という存在は、大切だと言うことです。