『決めたら、覚悟も決める。』
私たちは、意識です。
意識した方向へ向かいます。
トイレに行きたいなぁ。
そう思えば、トイレに向かう。
喉が渇いたと思えば、何かを飲もうとする。
それと同じように、決めたら、プロセスが始まる。
「私は、承認欲求を使った幻想世界は創造しない。」
そう決めたら、トイレに向かうように、承認欲求を使わない世界に向かいだす。
人間意識は、嫌な感情を味わうのが大の苦手です。
グサッと傷つくようなことは、避けようとするし、
めんどうなことは、やりたくないと後回しにする。
だから、
「私は、承認欲求を使った幻想世界は創造しない。」
と決めたら、もう承認欲求に振り回されないんだと勘違いしてしまう。
そもそも私は、覚醒する、目覚める。
とは、何の不自由もなく、楽に暮らせる世界になるんだと思ってましたから。
それくらい、この自我の世界の感情に振り回される世界がイヤだと思っていたわけですから、何かを決めたら、そう成るんだと最初は思ってました。
ところがどっこいですよ。
決めたら、真逆のコトが起きるんですよ。
「私は、承認欲求を使った幻想世界は創造しない。」
そう決めたら、
承認欲求を使った幻想世界が、
ミサイルのごとく投下されるし、
地雷は踏むし・・・
そんな外の世界を観ることになりました。
ガイドにしてみれば、
「あなたが、承認欲求を使わないと決めたのですから、当然、そうなりますよね。」
はい、ごもっともです。
そう答えるしかありません。
私が、承認欲求を持っているから、今まで散々、その幻想世界を観てきたのですから、その承認欲求を手放すためには、まずは私の目の前にそれを投下して、私の中から炙り出す必要があります。
そのための舞台設定をガイドは、せっせこせっせこと創造してくれるわけですよ。
それは、容赦なくです。
このガイドの意図がわからないと、幻想世界に再び戻ってしまいます。
どうなるかと言うと、
あの人が悪いんだ。
あの会社が悪いんだ。
と言う、誰かのせい物語の世界へ、ようこそ となります。
感情が動いたら、手放しのサインです。
だのに、いつまでも
そこから意識を背けると、もう自我の世界から出られなくなってしまいます。
でもね、ガイドは凄いんです。
私のコトは、全てお見通し。
私がちょっと冷静(霊性)になれば気づけるようなヒントをくれますし、今わからなくても、別の何かを観せて、気づかせようとします。
例えば、
誰かが何の気なしに話していた言葉の中にそのヒントがあったり、本の中や、テレビのドラマ、映画やゲームの中、等々
それはそれは、絶妙なタイミングで教えてくれます。
それに気づいた時は、感動と興奮とが同時にきたような感覚を味わい、ハートがズンとするような、そんな感覚を味わいました。
人間意識は、どうしたって心地の良い方へ向かおうとして、イヤなことからは、逃れようとします。
逃れるという選択をするのは自由ですが、イヤなことの中にヒントや答えが隠れています。
逆に言えば、そこにしか答えはありません。
心地良いことは、多いに体験すればいいんです。
でも、それと同じだけ、心地悪いことがあります。
この宇宙のしくみは、人間本位のしくみにはなっていません。
だのに、宇宙のしくみを知れば知るほど、人間としての生き方を問われる世界に突入していきます。
決めたら、必ず発動します。
手放すためには、意識の私と、肉体の私が協力し合わなければなりません。
自分が観る世界と、とことん向き合って、そこにある課題をクリアしていく。
それは誰でもない、自分にしかできないこと。
自分でコツをみつけることです。
自分の周りの全てが、Win-Winの関係で、協力してくれます。
決めるなら、それと同時に、覚悟も決めること。
そして、諦めないこと。
課題は、必ず1つです。
そこをクリアできると、次の課題に移りますが、クリアできないと、品を変え方法を変えて、課題はやってきます。
絶対に、すっ飛ばすことはありません。
必ず、分相応より、ちょこっと斜め上くらいの課題です。
だから、絶対にクリアできるんです。
コツは、外の世界に意識を向けず、自分の内側に意識を向ける。
「何で、こうなるんだろう。」ではなく、
「何を教えようとしてくれてるんだろう。」と言う質問の仕方の方がいいかな。
さて、私にもまた課題がくるはずです。
ハイボールでも飲んで、待ちましょうかね。
なんて、余裕ぶっかましてますが、ガイドには、ぜ~んぶ見られちゃってます