満足感と言う感覚。
でも、この感覚は、
欲しい物を買えた時の満足感じゃない。
美味しい物を、たらふく食べた時の感覚でもない。
旅行に行って、ゆったりしている時の感覚とも違う。
今、こうやって書きながら、何が違うんだろうと思っていたら、わかりました。
買い物も、食べることも、旅行に行くことも、確かに満足感を感じるけれど、
それは、
買いたい物を買い終わったら、
食べたい物を食べ終わったら、
旅行が終わったら、
その満足感は、いつの間にか、何処かに行ってしまう。
この私が今、感じている満足感には、終わりがない。
こうやって、ブログを書いていても、
ただ、お皿を洗っているだけでも、
車に乗っているだけでも、
誰かと話しをしているだけでも、
日常全てに満足感を感じる。
楽しくて仕方がない。
そんな気持ちも、この満足感の中には含まれる。
やっぱりそうなんだと実感する。
意識の私と、肉体の私が一致すると、こういう感覚になるんだ。
逆に、
意識の私と、肉体の私が、一致していないと、
不安や恐怖、執着や無価値観、憎しみや悲しみ等々を感じてしまう。
何をやっても上手くいかないという焦り。
今が満足できなくて、常に満足する何かを探そうともがいてしまう。
外の世界に観える物質が手に入れば満足すると勘違いしてしまっていた世界。
内側の世界が、外に観える世界を創っていると言われても、どうやっても先に外の世界に、その満足する世界を創りたいと想像する。
灯台下暗し。
幸せの青い鳥。
その世界は、この日常にあった。
特別な私ではなく、このいつもの、そこらへんにいる、おばはんの中にあった。
比較するモノが無くなってしまった。
あの人はいい。
あんな生活をしてみたい。
あんな仕事をしてみたい。
その願望は、今の自分に満足していなかったから生まれた。
今の自分に満足していれば、その欲求は生まれることはなかった。
家の中にいても、楽しくて仕方がない。
職場にいても、楽しくて仕方がない。
テニスをしていても、楽しくて仕方がない。
終わりのない満足感。
ここへ来るまでのプロセスがわかりました。
例え、ズレたとしても、また戻れる自信があります。
さて、今から、ハイボールを飲みながら、好きなドラマを観ましょうかね。