『最善』と聞くと、

 

私にとって都合の良い、とても喜ばしいコト。

 

と、思ってしまうけれど、そうではありません。

 

 

 

確かに、人間意識としては、そうであって欲しいと願うけれど、霊性進化の『最善』とは全く違います。

 

 

 

 

 

人間意識の場合、自分にとって不愉快なコト、都合の悪いコトが起こった時、

 

 

 

 

 

「最悪だ!」

 

と、思います。

 

 

でも、その「最悪」も、霊性進化からすれば『最善』に当たる。

 

 

 

 

 

人間意識の場合、悩んだ結果、こちらを選択したけれど、その結果が、自分にとって不愉快なコト、都合の悪いコトであった場合、

 

 

 

 

 

「やっぱり、あっちを選択すれば良かったんだ。」

 

と、後悔するけれど、

 

この後悔も、霊性進化からすれば、『最善』を選択したコトになります。

 

 

 

 

 

 

私は、知らなかったんです。

 

毎瞬毎瞬の選択が、どれほど私の観る世界に影響を与えているのかと言うことを。

 

 

 

 

 

 

 

 

自分が、選択する基準は何かと考えれば、

 

好きなコトであったり、

得意なコトであったり、

以前にも経験したコトであったり、

全く経験したコトがないから、挑戦してみたいとか、

 

逆に、こちらはやりたくないコトだから、こちらを選ぶという選択基準がありました。

 

 

 

そういう基準で選択をしていたから、

毎日のこの日常の毎瞬毎瞬は、選択するも何も、ルーティンであり、選択基準外のような存在でした。

 

 

 

 

 

 

 

お金が欲しいと思う私の選択基準は、給料が高いかどうかで、仕事の内容は二の次だったり、

 

痩せたいと思う私の選択基準は、カロリーが高いか低いかで、食べ物を選択したり、

 

新しく買うパソコンの基準は、自分にとってのお手頃価格だったり。

 

 

 

 

 

「それは、最善の選択だったのか?」

 

と、ガイドに問われたら、そもそも「最善って何?」 って答える私でした。

 

 

 

 

 

 

人間意識にとっても、霊性進化を望むスピリット意識にとっても『最善』の結果を得る方法は存在します。

 

 

その方法が、毎瞬毎瞬、『最善』を選択するコト。

 

 

 

 

 

 

毎瞬毎瞬と言っても、1秒づつ、右足を先に出すべきか、左足を先に出すべきかなどと言う選択は、無意識にしています。

 

でも、必ず、一旦止まって選択しているコトがあるはず。

 

 

 

夕食に何を食べるかとか、買い物をしていくかしないかとか、

出勤時間に余裕をもって行けるように行動するか、遅刻してもいいやと思って行動するか、等々

 

 

 

 

この、なんでもないような日常の選択であっても、

 

「めんどくさいから、明日にしよう。」

「どうでもいいコトだから、やらないでおこう。」

「自分しか見ないんだから、どうでもいい。」

 

 

と言う、この意識で選択をし続けていて、自分にとって都合の良い、喜ぶような『最善』の結果が得られるようには、この宇宙のしくみはなっていない。

 

 

 

 

 

 

私たちは、意識です。

 

仕事をしている時の意識と、家にいる時の意識を分けるコトはできず、全てが私の意識で成り立っています。

 

分けているのは、この三次元の社会と言うしくみであって、宇宙のしくみではありません。

 

 

 

 

 

『最善』の選択は、

 

外に観える世界と、自分のハートの羅針盤を一致させたうえでの行動になります。

 

その選択を、家の中でも、家の外でも、全く区別なく行っていく。

 

 

 

最初は、思考優位になってしまいがちですが、何度も繰り返せば、クセになっていきます。

 

 

 

 

『最善』の選択を意識するコトは、霊性進化だけでなく、人間意識としても『最善』で、結果的に『自分の望むコトが叶ってしまう。』タイムラインを選択するコトに繋がっていきます。

 

 

 

『最善』の選択をする自分とは、正直で素直な自分です。

 

正直で、素直な自分が望むコトを選択して、叶えてあげれば、外の世界にも、望みが叶う世界が観えるようになってきます。

 

 

 

私たちは、自分で自分の人生を創造できます。

 

自分の望む世界を創造したいなら、自我を超えて、素直で正直な自分に戻るコトです。