昨日、ブログを書いてから、
洋ナシのような腹を持ってるコトを望まない私と、
キュウリのように、スラッとしているコトを望む私と言う、
陰陽のどちらの世界も受け入れると言う、意識の体験をしてみました。
その体験を終えた後、
角ハイ(現在、ビールを卒業して、角ハイにはまっております)を飲みながら、録画してあった『ラジエーションハウス』を観ました。
おもいっきり、ダイエットの物語でした。
結局、私が得た答えは、
この体型を受け入れる。
そもそも、体型と言うのは遺伝子によって創られているので、今の私が180㎝の身長に成るはずもないのに、体型を何とかしようというのも、今の自分を受け入れられないと言う、流れに抵抗しているようなモノです。
それに、せっかくこの肉体を持って生まれたのですから、食べたい物は食べようと思います。
もちろん、このボディがあるからこそ、この世界にいられるので、大切にしていきます。
胃とか腸とか、体から得られる感覚を、きちんと受け取り、欲求だけで食べすぎたり、飲みすぎたりしないようにしていきます。
お話しは変わりますが、
今日、甥っ子がやってきました。
自分の身に起こったコトを話してくれました。
私は、心の法則を知らなかった昔っからそうなんですが、テレビで放映される逆転人生とか、誰かのエッセイとか、そういうノンフィクションの話しを観たり聞いたりしながら、共通点をよく探していました。
今思えば、法則ですね。
そのクセは、今も抜けませんから、甥っ子が今回の出来事を話してくれている間も、この宇宙の法則と常に照らし合わせながら話しを聞いてました。
甥っ子は、融資をお願いするために銀行に一人で行ったわけですが、1件目では見事に断られたために、この方法では融資を受けられないんだと判断し、知人に相談した結果、自分の3年間の実績をプレゼンするための資料を作成したそうです。実際に見せてくれました。
甥っ子の奥さんは、再び同じ場所で開院できると、まだ決まってもいない状況の時から、今まで来院してくださった患者さんに、案内状を作成開始してました。
その医院を購入したいと申し出た企業は、甥っ子を含めて5件あったらしいのですが、結局は業績を積んでいた、甥っ子が選ばれたようでした。
今は、1月から開院できるように色々な書類作成をしており、スタッフも状況を見ながら、増員していくとし、最初は小規模から開始すると言ってました。
私が、スピリチュアルのコトを知り出した時、『望みは叶う』と言う文句に、心が躍りました。
イメージばかりが膨らみ、外の世界を変えようと必死になっていました。
今だからわかるのですが、望みを持っている、今私がいるこの世界には、その望みは存在していない。無いわけです。
でも、私が想像できることは、創造することができる。
例えば、私が、宇宙飛行士に成りたいと思うかと言うと、全く思わないわけです。
興味も沸きません。
だから、想像することもできない。
例えば、私が、何かを企業して、社員がいるような会社を設立したいかと言うと、全く思わないわけです。
興味も沸かないし、想像すらできません。
でも、私が興味を持って、やってみたいと思うようなコトから発せられる『望むコト』は、想像ができます。
想像ができると言うことは、もう既にその『望むコト』が叶った世界が存在している。
今、私がいる階が5階で、その望むコトが叶った世界は、10階にある。
そんなイメージです。
この『ない』世界にしがみついている時の私が発する意識とエネルギーは、『ない』です。
だから、『ない』ことばかりをフォーカスし、不安になっていきます。
でも、自分が望んだコトが叶った世界が10階に『在る』とわかったら、私が発する意識とエネルギーは、『在る』です。
『在る』ことにフォーカスし始めます。
『在る』ことにフォーカスする=10階へ行くための準備をしだすことになります。
甥っ子の話しで例えれば、
融資を受けられた状態にするために、プレゼンの資料を作成した。
奥さんが、再開院することができるように案内状を作成しだした。
『在る』世界にフォーカスしだすと、『縁』が始まります。
今回、甥っ子も『縁』を凄く感じ、その『縁』に助けられたと。
だから、病院のロゴのデザインを考えた奥さん(美術系)も、人が繋がったような木を描いてました。
6階から9階までの階段は、10階へ行くための準備と『縁』で、繋がっていくように思います。
この、何を準備するかは、ガイドやハイヤーマインドが閃きで教えてくれますし、『縁』は、宇宙の采配だと思っています。
そしてそれらは、必ず分相応に采配されていく。
そう思います。